<拓兄version>
低く掠れた拓海の声に、涼介は一つ二つ瞬きをしてから閉じていた目をゆっくりと開け、拓海の方を見た。
視線が緩やかに絡まる。
思ったよりも距離が間近で、涼介の顔に更に血が上った。
自分にまともにぶつかってくる拓海の眼差しは強く、その瞳は、彼の身の内にある情欲の炎を、隠しもせず揺らめかせている。…尤も、わざわざ見なくとも、そうであろうことは涼介とてわかっていた。
汗ばんだ素肌の熱さや自分を抱く腕の強さが少しずつ増していくのは、こうして体が密着していれば、それこそ顕著なのだ。
──身体の上を這い回る舌や掌の動き。それに呼応して高まる互いの体熱、鼓動、………悦楽。
肌で直に感じ取れる、相手の自分への欲望は、涼介にとってはたまらない快感だった。
まして、普段はどこを見ているのやらわからない眠たそうな彼の目が、はっきりと自分に焦点を当て、何をごまかすことも憚られるほどの真っ正直な眼差しで以て、今は正面から見つめてくる──それに対し、何も感じないフリをするのは、難しかった。
こんな時にしかお目に掛かれない拓海の目だからこそ、羞恥とともに歓喜に身を震わせずにはいられない。
けれど、それを表に出すことはしたくない。
いつも、涼介はそう思っている。
施される愛撫に身悶えるのも、感じて声を上げるのも、絶対に嫌だった。
羞恥心があるから。…それもある。確かに、全身が火を噴きそうなほどだ。だが、実の所は。
そういう痴態を見せるような類の女に、涼介自身が苦手意識を持っていたからだった。
──女ならまだしも、自分は男だ。ならば、尚更、あられもない姿を曝してはならない。
そんなことをする自分など、許せるはずがない。
たとえ1%の可能性でも、彼に嫌われるかもしれないような材料は全て、根絶やしにしたいのだ。
バカなんじゃないのか、と自分でも思い、嘲ってみる。
しかし、たかだかこんなことであっても、涼介は神経質にならざるを得なかった。
………恋愛なんて、壊れやすいもの。好きだなんて言ってても、明日には違うかもしれない。
そう思えばこそ、些細なことでも無視できなかった。
それはともかくとして。
大体、いきなり途轍もないことを言い出す拓海の方が、おかしい。言われたこちらも、羞恥倍増である。
『我慢しないで、声を聴かせてほしい』と言われ、この自分が快諾するとでも思っているんだろうか? 違うだろう。結果的にはそうなってしまったとしても、答えは簡単に想像できるはずだ。
──オレが何も答えないのを承知の上で、実は単に言ってみたかった、ってところか?
拓海の視線にさらされるのを心地よく感じながらも、そう判断した涼介は、再び唇に優しく触れてきた拓海の指に、歯を立てた。
「ッ…」
痛みに怯んだ彼の手を掴まえて、恨めしげに睨む拓海を無言で躱し、涼介は噛んだ箇所をあやすように舌で舐めた。
すると、不意に拓海が強引に膝を割ってくる。
この先されることを思い、涼介の心臓がドクンと高鳴った。
「…何笑ってんです、涼介さん………」
「………笑ってなんか…」
「目が、笑ってるんですけど」
言いながら、拓海は涼介の足を開かせた。膝裏から内腿、足の付け根へと優しく辿る拓海の手に、涼介は気付かれぬようにハァ、と一つ熱い吐息をつく。
そして、少し拗ねている拓海に、クスリと笑った。
「…何ていうか………。冗談にしたって、『声を聴かせろ』なんて、藤原にしちゃ随分と大胆なことが言えたものだな、と思ってさ。…単に、それだけ」
「冗談? ………じゃ、ないですよ」
「本気で言ってたのか? まさかだろう」
ぎょっとして、涼介は拓海を見返した。つられて、拓海も微妙に表情を変える。
…何だか、奇妙な間が漂った。
ややあって、早く立ち直った拓海が、神妙に、恐る恐るといった態度で涼介を覗き込む。
「…涼介さん………、訊いて…いいですか?」
「何を?」
「前から、訊きたかったことなんですけど…。何でそんなに、声…聴かれたくないんですか? ………それだけじゃなくて、…その、感じてるトコとか…見せんの、すごく嫌がるでしょう。それも、半端じゃなく。…言わなかったけど、ずっとそうでしたよね………。…どうしてですか?」
「どうして、って──」
涼介が返答に困っていると、一瞬キュッと唇を噛み、拓海は声のトーンを落として言った。
「相手がオレだから? オレじゃイヤってこと?」
──今更、この期に及んで、そういうことを抜かすか?
想いを試すようなその言い分にカッとなった涼介だが、真剣な面持ちの拓海に、怒鳴ろうとしていた勢いをなくす。
「年下だから? だからイヤなんですか…? それとも………やっぱ男同士だし、…抵抗あるの…オレだってわかるし………それがイヤになりましたか………………?」
半ば縋るような瞳で見つめられ、暫し、涼介には答えられなかった。
そんなふうに誤解していたとは思わなかったのだ。
だがこの様子では、拓海は半分本気で、今言った台詞を信じている。
「…違う。全然違うよ」
はっきり否定して、するりと拓海の首に腕を絡めた。
誘うように上唇を一舐めし、下唇を軽く吸うと、少ししてから、同じように拓海も返してくる。それに安堵し、そのままそうっと、涼介は柔らかい唇を重ねた。
「涼介さんが…好きなんです、オレ」
離れ際、吐息とともに囁かれる告白に、涼介はくすぐったい気持ちで一杯になる。
微笑んで、知ってる、と答えてから、拓海と目を合わせた。
「…オレも、藤原のことが好きだ」
滅多に聞けない告白にびっくりする拓海を後目に、涼介は、ふと視線を逸らした。
「悪かった…嫌な誤解させちまって。さっきのは………ホントに違うんだ。藤原だからとか、年下だとか、男だからとか、…そんなんじゃない。そりゃ、…全く抵抗がないっていうと………嘘になるけど」
何か言いかける拓海の口元を、軽く指で触れて遮った。
そして、涼介は小さく苦笑し、拓海を見た。
「………考えてもみろよ、藤原。お前だって正直な所、男が乱れる姿なんざ目の当たりにするのは、ゾッとしないだろう? いくら、その…オレを好きだって言ってくれてても、こればっかりは見ても気持ちのいいもんじゃないと思うしな…。だから──」
「ちょ、ちょっとタンマ!」
苦笑気味に語る涼介の言葉を、拓海が慌てて遮ってくる。
状況にそぐわない慌てぶりを怪訝に思いながら、何だ、と涼介は首を傾げた。
「本気で言ってますか、今の? 見ても気持ちいいもんじゃないって?」
「それが普通だろう。だから余計、藤原がそんな誤解してるとは思わなくて………。というか、さっきの、本当に本気で言ってたのか?」
だとしたら、こう言っちゃなんだが………………変わった趣味してるんだな、藤原。
涼介は、悪いとは思いつつも正直な感想を言ってしまった。
途端、へなりと脱力した拓海が、上からずっしりと全体重を預けてきた。…ちょっと傷ついたのかもしれない。
涼介よりもやや体が小さいとはいえ、れっきとした男である。徐々に鍛えられてきた肉体は、もう少年のものとは言い難い。こんなふうに、細くとも筋肉質な体で、真上から支えもなしに伸し掛かられると、結構重い。
だが、素肌が触れ合うこのぬくもりは、離したくない。
なので、脱力したきり無反応な彼を、とりあえず涼介は呼んでみた。
「藤原?」
「………………………いいです、もう。変わった趣味のヘンタイ野郎扱いでも。誤解解けたし、わかってくれれば、それで………」
ぶつぶつと辛気くさく呟く拓海の言葉は、聞き取りにくい。ただ、オレはヘンタイとまでは言ってないが…と、涼介はぼんやり思った。
もう一度呼び掛けると、拓海はそれに応えずのそりと身を起こし、涼介の耳朶を軽く食んできた。
ゾク、と鳥肌が立つ。
僅かに震えた肩を抱かれ、耳元で熱い息を吹きかけられた。
「涼介さん………オレの”趣味”、もうわかってくれたんでしょう…? だったら、少しは…協力、してくれませんか?」
「………そ、れは………………っ…」
不意に胸の突起を掠める指先に、涼介は思わず息を呑む。
一時期去った熱が集まり、再び、頬が朱に染まる。
協力はできない。そう言うつもりだった。
拓海の”変わった趣味”を理解できない涼介には、それが本当なのか、本心かどうかさえも、実は信じ切れていない。
仮に本当だとして。
いくら拓海の趣味が変わっていて、嫌われることはないとしても、だ。たとえば自ら声を上げ、腰を振るようなことになろうものなら、涼介自身が多大な自己嫌悪に陥ることは必至である。いずれにしろ、居たたまれなさや恥ずかしさ、後にやってくる後悔はちっとも変わらない。
だから、それはできない。と言おうとしたが──躊躇いが生じた。
誤解させたこと自体に涼介の否はない。なのに、彼に哀しい顔をさせたことに対する罪悪感があった。
「ダメですか………? 今日、だけでも…?」
チラリと拓海の顔を盗み見て、暫く黙る。
迷いに迷った挙げ句、清水の舞台を飛び降りる覚悟で、涼介は口を開いた。
「………………………それだったら、まあ…」
──罪悪感を消すためには、罪滅ぼしをしなければならないだろう。
決して彼の黒目がちの懇願を込めた一途な瞳に絆されたのではない、と言い訳がましく心の中で呟きながら、努力はする、と小さく答えた、仏頂面の涼介である。
それでも、拓海はほんのりと頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。
「約束ですよ? …それと、もう一つ」
目、閉じないで下さいね。
何だそれは、と涼介が拓海をジトリと見やると、拓海は少しむくれた。
「だって…オレの言うこと、半信半疑なんでしょう? だったら、オレのこと見てれば、涼介さんならちゃんと本音かどうか一発でわかるじゃないですか。オレ、嘘なんか上手くつけないし」
…まともに聞いていれば、かなりの当て擦りである。よくぞ言った、と多少ムッとした涼介だが、その内容には確かに一理あった。
非常に不本意極まりない。けれど、渋々涼介は、わかった、と承諾する。
無茶はやらかすなよ、という釘をさす涼介の追加注文には、柔らかな微笑みと口づけが返ってきた──
一つ一つ、丹念にゆっくりと身体の隅々まで暴かれて、今では、拓海が触れなかったところはもうない。
約束を盾に、噛んだ唇をその都度解かれ、目を閉じることもできなくて。耳は塞ぐこともできたけれど、………そんな余裕はなく、直ぐに諦めた。
最初は密かな声が漏れ、それが己の耳に届く毎、涼介は血が逆流する思いを味わった。だが、一旦紐解かれてしまえば、声を堪えることは不可能となった。どれだけ羞恥に身を縮こまらせても、抑えられなかった。最早、抑えようとも思わない。喘ぐことへの抵抗は、消えていた。
拓海は、涼介の中に埋め込んだ指で内壁を擦り上げながら、彼の左足の膝に口づける。
「…ちゃんと、わかりました…?」
わかったと、何度言ったらわかるんだ!
そうは言えなくて、キッ、と涼介は拓海を睨み上げた。尤も、赤くなって潤んだ目で睨んでも、何の効果も得られないのは百も承知だ。
荒い息を何とか整え、涼介は言葉を綴る。
「わ…かった………から、も………焦らすなッ………!」
性急に追い上げられて、でも達することは許されず。
イきそうになる寸前ではぐらかされるのも、もう何度目のことか、数え切れない。
まだ両手で足りるほどしか、拓海と寝てない。焦らされることは、今までなかった。
だから、もう耐えられない。
これ以上焦らされたら。
…気が狂いそうだ。
「涼介さん………」
熱い塊が、宛われる。
ほぐすだけほぐされて、未だ散らされなかった其処が、ズキズキと疼いた。
約束だから、と涼介はゆるりと目を開けた。
覆い被さろうとする、男の顔。
自分の全てを支配しようとする、雄の──欲に底光りする黒い瞳。
惚れた男の、快楽に歪む様は…なかなかに見応えがある。
だから、言った。微笑いながら。
「来いよ…、お前、が…欲しいなら………好きなだけ…っ………ッッ!」
くれてやる、と続けるつもりだった言葉は。
ずるりと潜り込んできた灼熱と、脳髄が灼ききれそうな快感に、浚われて消えた。
もう、遠慮はしない。
我慢もしない。
奪いたいだけ、奪ってやる。
お前も、満足するまで奪えばいい。
それならオレは。
与えたいだけ、与えてやろう。
もう、わかった。
目を閉じるなと言った、本当の意味も。
我慢するなと言った、理由も。
結局は。
お前の欲しいモノと、オレの欲しいモノ。
それが同じだと、やっとわかったから。
何をしたって、なくすものなんか何にもない。
それがやっと、わかったんだ──
終
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