告白は確かに拓海の方からで、涼介が受けた形ではあった。が、始まりはどうであれ二人は付き合っていると言える。なら、相手に会いたいと思うのも、そう伝えるのも、約束をとりつけるのだって、別にワガママではなくてごく自然なことのはずだ。元々、弟である啓介のおかげか、涼介は甘えられるのもワガママを言われるのにも慣れている。
なのに、藤原拓海ときたら。付き合い始めてひと月以上が経っているというのに、わざわざ改めて気持ちの確認までして、常に多忙そうな涼介に合わせて冬休みを指定し、半日でもいいから会えないかと誘っているのだ。しかも、拓海から『会いたい』という言葉を聞いたのは、おそらくこれが初めてだ。
拓海が積極的な性格ではないのはわかっていた。しかし、これは──相当ではなかろうか。
休みなんだから忙しくないに決まっているだろう、とか。休暇中じゃなくても言えば都合をつけるのに、とか。色々な感情が沸いては言葉にしないまま、涼介の脳裏から消えていく。
遠慮深いにも、程がある。控えめという限度を通り越していて、呆れるやら焦れったいやら。
それでも。
拓海の想いは、伝わってくる。大事にしてくれているのだとは、よくわかる。
──これで絆されない人間がいるなら、お目に掛かりたいもんだ。
そろりと見上げてくる拓海に、涼介は気付かれないように嘆息した。…それが、少し甘ったるいのは気のせいではないと思う。
「年明けは、元旦以外ならいつでも空いてるよ。何だったら、泊まりでもいいしな」
「………………え、…泊まり、ですか………?」
「…ああ、『そういう』意味に取った? それでもいいぜ」
ニッ、と人の悪い笑みを拓海に向けると、彼はカッと顔を赤く染めた。
わざとそう取れるように、涼介は意図的に言葉を選んだのだった。初心な拓海の反応が見たくて、悪いとわかっていてついからかってしまう。
すると、予想外の返答が返ってきた。
「………いいんですか。オレ、本気にしますよ」
未だに赤いままの顔で真っ直ぐ涼介を見据えたかと思うと、ふと視線を外し、拓海は気まずそうに告げた。
「ホントは、…泊まりでウチに来ませんかって………言おうと思ってました。………さっき言えなかったけど」
涼介は、ああ、と得心した。
可哀想なくらい緊張して、どもりながら言葉を綴っていたのは、それが原因だったのかと。
「別に、今からでもいいけど? ………そういや、今晩は家に誰も帰ってこないから、オレ一人だ。…来るか?」
「………い、今っ!?」
拓海の驚きように、涼介は『お前がイヤじゃなければ』とサラリと言って、キレイに微笑んだ。
拓海は、正面から、涼しげな玲瓏たる彼の美貌を見つめた。いつもながら、どこにも欠点の見当たらない秀麗な顔だと思う。そんな台詞を言ったとは信じられないくらい、爽やかだ。
が、己の欲望のなせるわざか、妙に妖艶さが漂っている錯覚に陥る。
…何となく、妙な気分になってくる。少しずつ、じわじわと理性が浸食されていくようだ。
「本気ですか…? 本当に、いいんですか…?」
欲に流されそうな理性を辛うじて保持している拓海への、涼介の答えは非常に端的だった。
「ああ」
目を細め、微笑みを深くしながら、涼介は拓海にそっと近付いた。
涼介の態度には、最初から最後まで躊躇いも何もない。
拓海にとってはそりゃもう天にも昇る気持ちだった。嬉しすぎて、緊張しまくるわ、脈拍は上昇しっぱなしだわで、ふわふわと雲の上を歩いているような夢心地で。
クルマで高崎へと走っている時も、高橋家についてからも。涼介の部屋に案内された時だって、ずっと頭に霞がかっているみたいだった。
その部屋で、涼介と視線が合うまで。彼の器用そうな細い指先が、拓海の頬をくすぐるまで。
そこで、ようやく夢なんかじゃないと、信じられた。夢見心地は今も変わらないが、それでもこれが現実なのだと思えた。
パサリ、と衣類が床に落とされる。
自分が脱がしたのか、涼介が自ら脱いだのか。拓海は目の前の人物に夢中で、他のことを気にする余裕はない。
「………っ、………」
吐息に混じる喘ぎは、涼介のものだ。けれど、拓海も同様に、息は多少荒い。
柔らかい唇を塞ぎ、両腕を背中に回しながら、拓海は自分の中で荒れ狂う獣を必死で抑えていた。拒むことは簡単にできるはずなのに、こんなことまで許してくれる涼介を傷つけたくなかった。そのためにも、己の欲望の全てを解放してはならないのだと、固く自分を戒めていた──
* * *
思い返して、反射的に口元を抑えた拓海である。赤面どころか鼻血が出そうだ。
自分ではセーブしたつもりなのだが、夕べの涼介の様子では、結構な無茶をしでかしたのかもしれず──
いやいやそうじゃなくて、と頭を軽く横に振って、拓海は思考転換を図った。
──どうして、昨晩涼介はいきなり自分にあんなことを言われて、あっさりと頷いたのか。
それどころか、ダメ元で自分が言ったのはもっと先の話だったのに──
先程敢えて聞き流したからには、涼介が己の質問に答えてくれる可能性は低い。だが、自分レベルの頭では、どれだけ考えたってわからないのではないかと思う。
「どうした、眉間に皺を寄せて?」
小さな笑みを浮かべて涼介が言うのへ、暫く無言で通した後、拓海は迷いつつも口を開いた。
「…オレ、やっぱわかんねーです…。もし弾みじゃないんなら、涼介さんは…どうして………」
皆目わかりません、と顔に書いてある拓海の表情に、涼介は特大の溜息を吐いた。
遠慮深さだけでなく、鈍感さにおいても桁外れなのだと、本当に実感させられる。
しかし、甘い期待をすることなく、純粋に戸惑いと想いをのせた瞳を向けられては、答えるつもりのなかった涼介もお手上げであった。拓海には悪いが、流してしまおうと考えていたのだが。
「………………まいったな」
「…え?」
首を傾げる拓海に、こっちの話、と苦笑して軽くいなし、涼介は拓海を見上げた。
途端に拓海の真っ直ぐな眼差しとぶつかり、涼介は珍しくも少々緊張してしまう。…本音を曝すことが滅多にないだけに、多かれ少なかれ勇気が要るのである。
「わかると思ったんだ。行動で示せば。…特に何も言わなくても」
「………え…?」
「言葉だけじゃ信憑性がないだろうとも思って」
「…はあ………?」
「そういうわけで、その…昨夜…誘ったんだ。いつまで経っても、お前は無自覚だし…。だから…つまり、夕べのアレは弾みじゃない。藤原は勢いで言ってみたんだって、それはわかってたけどな…」
拓海は、涼介から目を離すことができなかった。
涼介が言いにくそうに話す様を、初めて見た。心なしか、照れているように見えるのだが、気のせいだろうか。
一方、黙って無反応のままぼけーっとしている拓海を、涼介は少し睨んだ。
「聞いてるのか?」
「あっ、き、聞いてます…。でも…イマイチ意味が………」
「わからない…?」
拓海は、心底申し訳なさそうな顔をしてコクリと頷いた。
それには、しょうがない、と涼介も苦く溜息せざるを得ない。
「…藤原」
手招きをして、近付いてきた拓海の顔を両サイドから両手でしっかり挟み込む。ギョッとするのを無視して、涼介はそっと口づけた。
上唇を食み、その裏側を舌でちろりと辿る。そうして薄く開いた歯列を割って、己の舌を奥へと侵入させた。おずおずと絡んでくる舌との追いかけっこをひとしきり堪能してからゆっくりと唇を離し、涼介はもう一度訊ねた。
「…まだわからないか?」
「………」
「オレは心が狭くてな。こういうことは、惚れた奴とじゃなきゃイヤなんだ」
「…りょ…、」
「なのにそいつときたら、一向に何にも仕掛けてこない。痺れを切らすのも当然だと思わないか?」
言い募れば募るほど、涼介の頬は少しずつ紅潮していった。それは涼介も自覚していたし、また端から見ても明らかだった。
「しかも、何故なのかと訊いてくるんだぞ。そんなの、理由なんか一つしかないじゃないか」
「涼介さん…」
「わからないとは言わせない。藤原拓海、オレは…お前が好きなんだ」
言い切った瞬間、ボッと火が点くように真っ赤になったのは、涼介ではなく拓海の方だった。
涼介は、それにつられて自分まで顔が熱く火照ってくるのを感じながら、ボソリと呟いた。
「………………何でお前が赤くなる」
「イヤその、何となく…。………あの、………ゴメンなさい」
「? 何が」
「…いろいろと。オレ鈍くって、わかんなくて…。でも、なんか──」
言葉を途切らせ、唐突に拓海は涼介をギュウッと抱きすくめた。力が入りすぎてしまったのか涼介から抗議の声が上がるが、拓海の耳には入っていないらしい。
「すっげー嬉しい………」
感慨深げに耳元で囁かれると、涼介としても体に巻かれた腕を振りほどけなくなってしまう。
元より、拓海が鈍い以前に、自分が何も言わなかったのがいけないのだとわかっているだけに、謝られる筋合いなど本当にないのだ。
──まあ、暫くはこのままでいても悪くないか。
少し息苦しいし重いけど、布団を被るだけより温かいから、と誰にともなく言い訳をして、涼介もまた拓海の背に手を回した。
そうして。
触れる人肌の心地よさに、二人して夢の中に誘われるのは時間の問題だった──
終
|