「………悪かった」
「…いいです、もう。それに、眠ってない割には目覚めるの早すぎるし…やっぱりどこか悪いんじゃないんですか。………そんなに体調悪かったんなら、これからちゃんと病院行って、薬貰って飲んで下さい」
──病院も、薬も、実は昔っからすっげえ嫌いなんだ。オレ。
だからこれからも多分行かねえ、とは言えなくて、啓介は笑ってごまかした。
ごまかしついでに、聞きたかった問いを、拓海に投げ掛ける。
「なあ、ところでさ。ここどこだ? 何もねー部屋だけど、病院じゃねえよな。ってことはお前、オレが倒れたからっつっても、救急車は呼ばなかったんだろ? …それとオレ、全然体に力入らねーんだけど…。これって何でだと思う? お前、理由わかるか?」
矢継ぎ早に聞いてくる啓介に、拓海は目を数度瞬かせた。
「…啓介さん、さっきから質問ばっかり」
「お前が最初からきっちり答えてくんねえからだろうが」
床に寝た状態で、啓介は拓海を睨み上げた。
拓海に見下ろされているのが癪に触るが、起き上がれないのだから仕方がない。
答えを待って啓介が睨み続けていると、跪いていた拓海が態勢を変え、ゆっくりと床に腰を下ろした。
そして、啓介に半ば覆い被さるような格好でうつ伏せ、腹這いになって床に片肘をつき、もう片方の手は啓介の頬に触れたままで、笑みを深くして啓介を見つめた。
「…ここはね、涼介さんが最近借りたアパートだそうです。友人からの又借りだから、格安だったらしいですよ」
「え、ホントかよ? オレ、そんなの聞いてねえぞ」
意外な真相に、啓介は目を丸くした。
しかし、最近間借りしたばかりだというのなら、生活感のない理由にも説明がつく。
「『当分誰にも内緒にしておくつもりだったのに、啓介のヤツめ…』って、涼介さんはボヤいてましたけど?」
その時の涼介との会話を思い出して、拓海はクスクスと笑った。
啓介にもその光景はたやすく想像できて、フンと鼻を鳴らす。
「ったく、アニキも大概秘密主義だからな…。どうせバラすなら初めから言ってくれりゃいいのに」
不満を口にしてから、啓介は、やっと拓海の取った行動に思い至った。
「………てことはお前、一番最初にアニキに連絡したのか」
拓海はこっくりと頷いて、説明を加えた。
「一発で電話が繋がって、本当に良かったですよ。オレ、危うく、単に睡眠不足で寝てるだけの人のために救急車呼ぶところでした」
笑みを消した拓海に真顔で嫌味を言われ、立場のない啓介は気まずそうに視線を逸らした。
それには構わず、拓海は言葉を続ける。
「涼介さんと連絡がついて、啓介さんの不眠症のこととか、いろいろ聞きました。その後、ここに案内されたんです。その方が………何かと気兼ねせずに済むだろうってことで」
──気兼ねせずに済む? …『気兼ね』って、こいつ他人にそんなに気ィ遣うヤツだっけ?
啓介は、拓海の後半部分の台詞に眉を顰めた。その気兼ね云々の意味がわからなかったためだ。
だが、自分には関係のないことだろうと、結局適当に聞き流すことにした。
そんなことよりも、ここが涼介の借りた部屋だとようやく判明したのだ。
それならば安心だと、啓介は気を緩め、ホッと一つ胸を撫で下ろした。
啓介が勝手に自分の中で納得しているうちにも、拓海の言葉は淀まなかった。
「それから、啓介さんが最後に言った質問。体に力が入らないっていう件ですけど………これは薬のせいでしょう」
「薬? 安定剤とか安眠剤? …おかしいな、それにしちゃ効き方が変だぜ。第一オレ、そういう薬には慣れてっから殆ど効かねえのに………」
「そういう種類の薬じゃありませんよ。…まだ、効いてませんか?」
おかしいなあ、と啓介と同じ台詞を呟いて、拓海は小首を傾げて啓介に顔を近付けた。
啓介の頬を包み込んでいた手を少し後ろへとずらし、首筋をそっと撫でる。
その感触に、啓介の体はピクンと反応を返した。
「…やめろ。そういう触り方すんな」
反射的に拓海の手を振り払おうとする啓介を、拓海は口元に薄っすらと笑みを張りつかせたまま、やんわりと制した。
「やめません。だって、そのための薬ですから」
「………は?」
全くわけがわからず、顔を思いっきり顰めた啓介に、拓海がクスリと笑いを零す。
「こういうことするための、薬だって言ってるんです」
言いながら、拓海は徐にGパン越しに股間を掌で押し揉んだ。
途端に啓介の体がビクリと跳ねる。
「っ…!」
不意を突かれたから、というだけではない確かな快楽が、腰に溜まる。
その時からドクドクと脈打つ鼓動もまた、すぐに収まるとは思えないほどに速い。
啓介は、息を飲んだ。
自分の体の反応が信じられない。
異常なほど、敏感になっている。衣類の上から少し刺激されただけだというのに、ここまで感じるなんて普通ではあり得ないことだ。
今の今まで自覚症状すらなかったが、拓海に触れられたことでスイッチが入ったのだろうか。ジリジリと快楽を求めて体が疼き始める。
驚愕に目を見開く啓介に、拓海は目を細め、微笑んだ。
「危ないドラッグじゃないから安心していいそうです。とにかく、とことん疲れさせれば熟睡するだろうって、涼介さんがくれたから」
「………………アニキが…? そんな薬をお前に渡したってか…? 何で? どういうことだよ…だってそんな………ウソ、だろ…?」
「…オレだって、度肝抜かれましたよ。その、何て言うか…いろんな意味で。涼介さんがそういう薬を持ってることもそうだけど、なんか…当たり前みたいなカオしてオレにそれ渡して、啓介さんに飲ませろって言うし」
「…ちくしょう、またかよクソアニキ…! まだマムシドリンクのがなんぼかマシだっ! またオレを人体実験に使いやがったなあァァ!!」
また? と首を捻る拓海をシカトし、悔し紛れに啓介は思いっきり悪態をついた。そうでもしなければ腹の虫がおさまらなかった。
しかし、いくら怒鳴っても本人は目の前にいないし、現状は少しも好転しない。
それどころか、展開は涼介の思惑通りに進んでいるに違いなく、啓介としては何とかして軌道修正を計りたいところだった。
「藤原、お前もお前だ! 何でわかっててオレにそんな薬飲ませたんだよ!」
思い通りに動いてくれない己の体──啓介が今一番苛立っているのはそのことだ。
立ち上がれないほど力の抜けた体が、触感だけはいつにもまして敏感で、細かな感覚を拾い上げ、快楽へと変換していく。
否応なしに流されていくことに、啓介は恐怖を感じていた。
「そんなに不安ですか?」
「そうじゃなくて、ムカついてんだよオレはっ!」
不安も恐怖も確かにあるが、それをこの男の前で認めたくはなかった。
だが、ムカついて殴ろうにも、腕が上がっても拳を硬く握れないから殴れない。指も腕もどうにか動かせるが力が湧かず、爪で床を引っ掻くのがせいぜいだ。
こんな状況に陥れた実行犯の拓海に怒りをぶつけることだけが、今の啓介にできる精一杯のことだった。
「…すみません。でもオレ、他にいい方法思いつかなかったし、これならオレも協力できるし。………ね?」
「ね? じゃねえ、このバカ! ………あ…っ、触るな…ッ」
「や、です」
言うなり、拓海は啓介の服を引き剥がしにかかった。
その衣擦れすらも、全身の皮膚が敏感になっている啓介にはたまらず、鳥肌が立つのを抑えられない。
胸や肩を撫でられるその刺激にゾクリと快感を覚える自分が、信じられなかった。
「ちょ…待てって、こんなのアリかよ………」
「有りですよ。だから…何でも言って下さいね」
「………何を」
啓介が少し伏せていた目を上げると、拓海が口元に笑みを浮かべ、ゆっくり囁いた。
「してほしいこと、全部。オレ、何でも叶えてあげますから」
その微笑みを暫く眺め見て、啓介は渋顔で短く溜息を吐いた。
拓海は、薬で動けない啓介を嘲笑しているわけでは決してない。
好きでもない人間に微笑みを向けられるような器用さなど、自分もこの男も持っていない。
欲望に火がついている拓海の眼差しに、けれど性欲だけではない啓介への想いが篭っていることも…わかっているつもりだ。多少は。
だが、納得はできない。
意識のないうちに自分の体に勝手なことをされても黙っていられるような人間がいたら、是非一目拝んでみたいもんだと啓介は思った。
「………何でもだと? オレの望みをか? …笑わせんな」
反論し掛ける拓海をひたと睨んで制し、啓介は続けた。
「オレの…身体の自由が利かねえってことは、オレがしたいことはできねえだろが」
「だから言ってくれれば…──」
「そうじゃねえ。…あのなぁ、オレはな、基本的にされるよりする方が好きなワケ。だからたとえばオレがお前に触れたいと思っても、こんなじゃ何もできねえだろっつってんの!」
苛々と声を荒らげる啓介の言葉に、ようやく意味を理解したらしい拓海が、目を少し見開いた。
「…ああ、そっか。それはそうかも」
言いながら、驚きと照れと苦笑が入り交じった複雑な表情で目を逸らす拓海に、啓介はバカ野郎、と呆れたように呟いて嘆息した。
こうやって言葉の応酬を繰り返して気を散らしても、啓介の都合の良いように状況が変わることはない。
啓介の体は次に与えられる刺激を待っているし、それはもうとまらない。
少しずつ早まる鼓動に、啓介は諦めて目前の男の名を呼んだ。
「…藤原。お前が自分で勝手に決めて勝手にやったことなんだから、…わかってるよな」
「わかってますよ、ちゃんと」
拓海はにっこり笑って、今度こそ完全に啓介からシャツをはぎ取った。
そして、ゆっくりと顔を近付け、そっと唇を重ねる。
寸前に拓海が囁いた一言は、こうだった。
「責任は取りますから、ご心配なく」
ホントかよ、と毒づきたくなった啓介だが、本当だろうがウソだろうが、自分ではどうにもできないことだから、あまり信憑性のない拓海の言葉でも信じるしか術はない。
初めは睨み付けていたが、口づけが深くなると同時に、啓介は目を閉じてその感覚を追い掛ける。
力は入らずとも、この男の首に腕を絡めて髪に触れることくらいならできる。
繊細で柔らかな髪の触感を指で楽しみながら、身を任せる。
拓海にとっては、この上なく扱いやすい身体だったのかもしれない──などと、埒のないことをふと考えた。
この夜の啓介の記憶の大半は。
拓海の濡れた指先と掌とが、体を這いまわる感触、だった。
終
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