いつも無表情の拓海だが、今目の前にある表情はそうでもない。
一目で、苛ついているのが丸わかりである。
不機嫌さを全面に出し、眉を顰めて、拓海は啓介を眇めた目で見ていた。
「………何やってんですか。アイドリングしっぱなしで」
咎められた内容は至極尤もで、これには啓介も諸手を上げて降参し、弁明するしかなかった。
「いや、その…なんつーか。実は…暖気してたんだけど…。なんか、待ってる内に寝ちまったみたいでさ」
ひょいと肩を竦めて言いながらも、啓介は何だかバツが悪く、拓海から目を逸らしてあらぬ方を見る。
拓海を見なくても、白い眼差しで見られていることくらいは十分感じ取れた。
「………………これからは気を付けて下さいよ。危ないし、風邪ひきます」
「ああ、それはもちろん」
「──で? こんなトコで何してんですか。こんな時間に」
責めるような刺々しい口調が、啓介の気に障った。
今度は、正面から拓海の目を、挑むようにしっかりと見返す。
「…来たくなったから来た。──そんだけ。決まってんだろ? オレのやることにケチつけんなよ」
そして、フンと鼻を鳴らして拓海を居丈高に見下ろした。
挑発的で驕慢な啓介の態度と台詞に、しかし拓海も一歩も退かない。
黙したまま、強い瞳で見つめてくる。
そんな拓海に対して、啓介は同じ問いを投げつけた。
「お前こそ、何でこんなトコにいるんだ。こんな時間に」
すると、拓海はムスッとしていた顔をますます顰める。
「………………来てみたくなったから、来たんです」
思いっきり仏頂面でボソリと告げる拓海を見て、おかしくなった啓介は、思わずククッと喉の奥で笑った。
啓介の笑みを、拓海は疎ましそうに睨みながら口を尖らせる。
だが、何か物言いたげではあったが、実際には何も言わなかった。
啓介は、拓海の沈黙の意味が、何となくわかるような気がしていた。わかるからこそ、敢えてそこに抵触するような真似はしない。そうしてただ黙って、拓海の反応を待つ。
会話のない時間が過ぎるのは、嫌いではない。
何も話なんかしなくても、単に側にいるだけでも、退屈しない。
その相手が、藤原拓海なら──
啓介にとって、拓海はそういう存在だ。
「啓介さん」
改まった口調で名前を呼ばれ、啓介はハッと我に返る。
見ると、彼は困ったような、怒ったような、何とも表現しづらい顔でこちらを見ていた。
「………何でいつも、何も言わないんですか」
「あ? …何のことだ」
「全部ですよ…わかってるくせに。………秋名まで来てること、啓介さん、オレには絶対言わないですよね。こうやってオレと会ってる最中だって、いつもテキトーな話するだけで………肝心なことは何も言ってくんねえし。…オレ、啓介さんが呼んでくれんなら、いつでも。どこだって──」
続く言葉は、ピュウと音を立てて吹き荒ぶ風に途切れてしまう。
息が詰まるほどの強風に目を細めた啓介は、風に靡く拓海の長い前髪に目をやった。
次いで、髪のまとわりつく額、鼻筋、それから案外シャープなラインを描く頬に、視線を移す。
優しげな面差しをしているが、中身は粗野で強情で意地っ張りなひねくれ者。そのくせ、妙なところで素直で純情で一本気な、藤原拓海。
口を噤んで未だ複雑な表情を浮かべている拓海の瞳はひたむきで、啓介を真っ直ぐ射抜いている。
ただそれだけで白旗を上げたくなる自分に、啓介は苦笑した。
そして、拓海に小さく笑いかける。
「…ただ来たくなったから、オレもお前も、ココに来た。──それでいいんじゃねえ?」
言って、数歩で拓海との距離を狭めた啓介は、徐に拓海の顎をツイと指で掬った。
一瞬だけ唇を重ねて離すと、拓海が少し驚いて目を開く。
だが、すぐさま恨みがましく睨めつけてきた。
「………全然よくない。…あんた、まさかコレでごまかしてるつもりじゃないでしょうね?」
「…ダメか?」
啓介はとぼけて首を傾げ、拓海のご機嫌を伺う。
すると拓海は、暫しジトッと睨んだ後、諦め顔で長く嘆息した。
「………………今日だけだったら、ごまかされてあげます」
不承不承そう言って承諾すると、拓海は啓介へと身を寄せて軽く胸ぐらを掴み、啓介の体を自分の方へと引き寄せた。
そうして、ゆるりと瞼を伏せて、先程の啓介と同じように軽くキスをする。
そっと、触れ合わせるだけの優しい口づけを。
それからゆっくりと唇を離して、拓海は啓介の頬に手を伸ばした。
氷のようにひんやりとした拓海の指先に、啓介は思わず肩を竦め、その手を掴まえた。
「ッ、お前、手ェ冷たすぎ」
「啓介さんの手も冷たかったですよ、さっき」
言われてみれば、握っている互いの手の温度差はあまりないようで、温かいとも冷たいともつかない。
しかし、冷えていることだけは確実だ。
風のない日ならまだしも、今日は一際気温が低い上に風が強い。吹きさらしの中にいて、体温は奪われていく一方である。
「さみーな…」
啓介は、奇しくも一人でいた時に呟いたのと同じ言葉を口にした。
けれど、今は聞く人間が側にいる。
「そうっすね…」
穏やかな低い拓海の声が、続けられる。
「でもオレ、寒いのって嫌いじゃないです。…寒い時の方が、見た感じ、くっついてても変じゃないし。それに、暑い時よりはこうしてても文句言われませんから」
繋いだ手に力を込めて、ほんのり嬉しそうに微笑む拓海の顔に、啓介の方が何だか気恥ずかしくなり、強引にその手を解く。
「バッカか、お前? オトコ同士がくっついてんのなんか、誰がいつどこで見たって変なんだよ」
「…そうかもしれないですけど」
あ〜あ折角手ぇ繋いでたのになー、と落胆したように両肩を落とし、わざとらしく拗ねる拓海を、啓介は鼻で軽く笑ってあしらった。
「お前とオレとじゃ、別の意味でサムイ光景だろうが。ったく勘弁しろよな、ただでさえ寒いってのに」
「………言ってくれますね」
苦笑を浮かべ、フイと横顔を見せた拓海の表情の翳りに、啓介はチクリと胸が痛む。
──悪いな、いっつもはぐらかしてばっかで。今日もこうやってごまかして。
内心で、そんなふうに呟いた。
自分の我侭で、拓海を振り回しているという自覚はある。毎度、その繰り返しだ。
拓海を軽んじているのでは決してない。けれど、自分としては、今のままがいい──なんて思って、硬派気取りで拓海の気持ちに素知らぬ振りを決め込んで。そのくせ、寂しそうな拓海の顔を見るのはイヤで、そうさせている自分も本当は気に食わない。
我侭というよりも、全ては、自分の意地っ張りでへそ曲がりな性格に起因している。それは、自制心のなさにも繋がる。
いつまでもごまかしていられるような段階ではない。拓海も、啓介自身もだ。
わかっているのに、啓介は第一歩がなかなか踏み込めなかった。
暫く経ってから、拓海はFDのボディに半ば腰を下ろしている啓介を振り返った。
「…あの、啓介さんは何時頃からここにいるんですか?」
「ああ、えーっとな………」
首を捻って腕を組み、啓介は拓海を見た。
そして脳裏で、先程確認した時刻から逆算する。
──正直に言ったら呆れるだろうな、こいつ。
「2時間は、優にいるんだよな、実は」
「………………2時間…?」
茫洋とした声が、いつになく低い。
「そ。正確には、3時間くらい?」
啓介があっけらかんと明るい声を出しても、効果はないようである。
言うと、拓海は心底呆れた、といった表情で沈黙した。
「ま、藤原に起こされるまではちょろっとうたた寝してたけど、なんか結構冷えたよな…。手足の先なんて今もう完璧ガチガチだぜ」
「………ったり前でしょうが! アンタ無茶苦茶だ。何だって3時間も、こんな何もねえトコで………」
頭を抱えて呻く拓海に、啓介は呼吸する度に白く色づく息を視界に収めつつ、不思議そうに首を傾げる。
「ここは峠だろ。走ってたに決まってんじゃねえか。…藤原が来るとは思ってなかったけどな」
拓海は、台詞の最後に加えられた言葉に、すかさず反応した。
期待を込めた眼差しで、啓介を見つめる。
「でも本当は、オレに来てほしかったんでしょ。実は、オレのこと待ってたとか?」
「んなわきゃあるか。夢見てんな、バカ野郎」
拓海の本気混じりの軽口に、啓介は軽く睨んで応戦する。
するといきなり、拓海は話を変えた。
「ねえ、啓介さん。どっかファミレスでも行きませんか。オレ、奢ります」
「…何だよ、急に」
「だって、ここにいたって寒いだけじゃないですか。オレより啓介さんの方が冷えてるわけだし、どっか店にでも入れば、体温まるでしょ? この前は啓介さんに御馳走してもらったから、今日はオレの奢りで」
ホテル、なんて贅沢は言いませんから。
サラッと付け加えられた拓海のその台詞に、啓介の心臓がドキリと一つ大きく跳ねる。
啓介の返事を待つ拓海の様子を見る限り、全くの冗談のつもりで言ったのだろうと知れる。
だが、冗談にしても、啓介は拓海の口から『ホテル』という言葉を初めて聞いた。
「………どっちでもいいぜ、オレは」
啓介が、拓海に言わせなかった。おそらく、その都度啓介が不機嫌を装うから、拓海がその類の台詞を避けるようになったのだろう。
だからこそ、今の己の言葉はそういう意味を込めて敢えて口にした分、啓介にとってすこぶる冷や汗ものだった。
「いや、だから今日はオレが金出しますって」
わかっていない拓海を、穏やかに諌める余裕など啓介にあるわけがない。
緊張にドキドキと高鳴る胸に苦しさを覚えながら、表面上は平静を保ち、声が震えないようにすることで必死だった。
「そっちじゃなくて行き先の方。オレは、ホテルでも構わねえぜ。…オレの奢りなら」
豆鉄砲を食らったような顔をして驚いた拓海は、次の瞬間、ああ、と納得した笑みを零す。
「…そういう冗談、啓介さんが言うとは思わなかった。危うく本気にするところだったじゃないですか」
「本気にすればいいだろ? あいにくと冗談じゃねえんだ」
再びピタリと動きを止めた拓海を、啓介は見つめ続けることができず、視線を外してあからさまに他方を向いた。
「………ホテルの方が、寒さしのげんだろ。シャワー浴びられるし、暖房もついてる。眠りたきゃベッドだってある。うってつけじゃねえか」
返る沈黙が痛くて、言葉を続けた。
「…ヤなら別にいいけどよ。藤原の奢りでファミレスか、オレの奢りでホテル。割り勘てのはナシで、どっちか好きな方選べよ」
気持ちをはぐらかすのは今日を限りに終わりにすると、今、決めた。
拓海の返事が今はどうあれ、これからはごまかすのはナシだ。
一方的なものでは満足しきれなくなった自分を、今やっと、認める気になったから──
啓介が台詞を言い終えるのを待っていたかのように、言葉が切られたと同時に、拓海は啓介を抱き締めた。
首筋にかじりつくような態勢で顔を埋め、啓介の背中に回した腕に、力を込める。
何も言わずにきつい抱擁で答えを返す拓海に、啓介は微笑みを浮かべ、同じようにその背に腕を回して抱き寄せた。
終
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