「…え、お前、………藤原?」
自分の名前を突然呼ばれて、ビクリと拓海は肩を震わせ、後ろを振り返った。
──啓介さん!?
こんな所で会う筈がない、というような時と場所なのに、どうして狙ったかのようなばっちりのタイミングで出会うんだろうか。
ビックリした余り、拓海は咄嗟に言葉が出なかった。
月曜日の平日、昼間から夕方に当たる時刻は、トラックが割と行き交う時間帯ということもあって、街中の狭い道路は比較的混んでいる。拓海の運転していた小型トラックは、斜め前のビルへの宅配のため、一時停車をしていた。
つい先程、宅配元へその荷物を届けたところで、これから次の場所へ向かおうとしていた矢先だった。
「仕事中なんか? …そのカッコ」
「………………そうです」
思わぬ場所で偶然会ったことで、驚きの表情は隠せないものの、平常を装って短く答えると、へえ、と感心したような声を啓介は漏らした。
そして、そのまま啓介は、拓海の姿を上から下までためつすがめつ眺め始める。
ジロジロと無遠慮な視線に晒されて、拓海は何となくいたたまれなかったが、冷やかしの意味は無いようだったので、暫く彼の好きにさせておいた。
仕事に関して言えば、今は運良く、トラックに積載している荷物が少なく、かつ時間指定の物もない。数分くらい立ち話をしても、何ら支障はなかった。
啓介は満足のいくまで拓海の仕事着姿を拝んでから、ふうん、と呟く。
何かコメントを言うのかと拓海は思ったのだが、啓介は一言も喋らない。
それが、何故だか拓海の気に触った。
その原因は、啓介の表情にある。
どういうわけか、さっきから終始自分を見ていて、しかもずっと笑みを湛えている気がする。『気がする』ではなくて、実際そうだと思う。
おもしろそうに拓海を見つめて、口元に笑みを浮かべている。立ち去る様子もなく、何かを話すこともしない。
ほんの数秒であっても、そんなふうに無為に過ぎる時間にイライラした拓海は、啓介を睨んだ。
「…用がねえんなら、オレもう行きます」
言うなり踵を返す拓海に、啓介は慌てて拓海の肩を掴んで引き止めた。
「オイ待てよ。──ったく、何怒ってんだよ、お前」
「怒ってません」
後ろに引っ張られ、半分振り返った拓海の表情は憮然としていて、啓介は眉間に皺を寄せた。
「怒ってんだろ。…それのどこが怒ってないっての」
「………別に。…どーでもいいけど、無意味にニヤけないでください」
目を合わさない拓海がボソリと言った内容は、啓介にとっては全くの予想外で、きょとんとする。
「………お前、オレがニヤけてるように見えんの? 何で?」
「知りませんよ、そんなの」
「無意味にニヤけてんじゃなくて、嬉しいから笑ってんだけど、オレ」
「………」
雰囲気で、何となく拓海のささくれ立った棘の先が丸くなったような気がした啓介は、機嫌良く言葉を続けた。
「んでさ。オレが”何で”嬉しいのかって、お前訊かないワケ?」
言われて改めて啓介を見ると、やっぱりどこか楽しそうだ。
──何がそんなにおもしろいんだかなー。
拓海にしてみれば何もおかしくはないのだが、しかし啓介の機嫌をわざわざ損ねようとは思っていない。
第一、啓介と会えて言葉を交わせるのは、全くイヤではない。むしろ『ラッキー』と心密かに喜んでいたくらいだ。
だから、『何故か』と訊いて欲しそうな啓介に話を合わせるのも悪くはない、と拓海は考えた。
それに、こういう上機嫌な啓介は珍しい。滅多にない、と言い換えてもいい。………あくまでも、自分に対する場合には珍しい、という意味合いで。
そのことを念頭に置けば、今の状況は自分の願望そのものであった。
嬉しくないわけがない。
「………何でですか?」
だが、哀しいかな──藤原拓海という人物は、プラスであれマイナスであれ、そういった感情が表出することは殆どなかった。
無表情に、ともすればつまらなさそうに見える拓海の顔に、啓介の心にあった愉しさが、見る見るうちに萎んでいく。
こちらを見る瞳も冷たく見えて、虚しくなった。
「………………お前はちっとも嬉しくなさそうだよな、…クソ」
口を尖らせてぼやいた啓介は、拓海の肩に置いていた手を離して、彼の頭をバシンと平手で思いきり叩いた。
「って! 何すんだよ!」
「るせーな!」
足早に拓海の脇を走り去り、数メートル先まで離れてから拓海に向き直り、怒ったような顔で啓介が怒鳴った。
「…久々に、テメーのマヌケ面見たからだよ。それだけだっ、このバカ!」
「〜〜アンタな…っ」
──言うに事欠いて、マヌケ面はねえだろ!
すかさず反論しようとした拓海だったが、それよりも早く、啓介はこちらに背を向け、走って遠ざかってしまう。
「え、ちょ、啓介さん!?」
思わず呼び止めたが、時既に遅し。拓海の呼び掛けも虚しく、声の届かない距離へと去っていった後だった。後ろ姿も、もう視界から消えてしまっていた。
──何だってんだ。何が言いたかったんだよ…もうワケわかんねー。
ムカつくけれども、それ以前に、わけのわからない啓介の言動には呆れるばかりである。
だが、いつまでもここにいない彼のことを考えていても、仕方がない。
拓海はフウと溜息を吐いてから、仕事の方へと頭を切り替えた。
ここに来た時同様に、トラックの運転席に座り、エンジンを始動させる。
その時、ふと、最後の啓介の叫びが拓海の脳裏に浮かんだ。
久々にテメーのマヌケ面を見た──と、そう言った。
拓海は、おや? と首を傾げる。
………確か啓介は、最初は『嬉しいから笑ってるんだ』と楽しそうに言っていた。そしてその理由を訊いて欲しそうにしていた。だからこそ、拓海は『何で』とわざわざ訊いたのだ。なのに、訊いたら訊いたで突如怒ってしまい、悪態をついて、啓介はとっとと退散してしまった。
自分はそれの何が引っかかってるんだろう、と思い、暫し考えてみる。
──『マヌケ面を見た』『嬉しいから笑う』…を、足せばいいのか?
三十秒ほど考えて、拓海は自分なりの答えを出してみた。
「…その一。オレの顔を久々に見られて、嬉しい。…その二。オレの顔が笑えるほどマヌケ面で、それが楽しい」
──どう考えても、オレの願望がその一、正解がその二、ってとこだよな…。
はあぁ〜、とハンドルにがくりと上体を突っ伏し、拓海は長く深い溜息を吐いたのだった。
+ + +
近くにあるものほど見えない、ということはよくあるようで。
欲しい答えが近くにあっても、気付かないものらしい。
…特に、性格の違いすぎる彼らにとっては。
前途多難。
それは、両名各々の現状と未来を、的確に表している言葉かもしれなかった。
終
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