「………藤原」
「………何ですか」
押し殺したような、静かで低い声である。
声の主は、藤原拓海と、高橋啓介。
その両者は今、真剣な顔で、対峙していた。
啓介が、プロジェクトDのミーティングの最中、ごく短い休憩を終えようとした拓海を、人気のない場所へと連れ出したのだ。
それも、半ば強引にである。
拓海の意思を無視した啓介の行動に、拓海は、少々憤っていた。
だが、その明確な理由がわからない今、彼を正面から詰るほどの怒りは、くすぶっていない。
だからとりあえず、啓介が何か言うのを待つしかない拓海であった。
数十秒は優に待った。
またぞろ啓介は、この自分にとってはあまり重要とも思えないことを言い出すに違いない、と想定しながらでも、一応は黙って待った。
いくら気の短い拓海といえども、それくらいのことはできるのだ。
だが、今にも何かを話そうとしている雰囲気なのに、啓介は真剣な顔をしたまま、何も言わない。
…待っているだけでは、埒があかない。
拓海はそう思い、仕方なく、自分の方から誘い水を掛けた。
「………こんなトコに呼び出して…一体何の話なんですか?」
待つのにも飽きて、溜息をつきながら言うと、ようやっと啓介が反応を返してきた。
「…あ、いや、その…。別に、大したコトじゃねえんだけど………」
------だったら、みんながいるトコで話しても、良かったじゃねえかよ。
躊躇いがちに頭をガリガリ掻きながら言う啓介へ、拓海はちょっとふてくされたように、内心そう突っ込んでみる。
だが、その言葉は口には出さず、啓介の言葉の続きを待った。
「映画のチケット、貰ってさ…。………だから…お前、どうかなと思って」
辿々しくそう宣った啓介の顔を、拓海は、ハイ? と思わずジッと見つめた。
やはり、彼の表情はどう見ても真剣な顔つきである。
が、だからこそ、このセリフにはちょっと………拍子抜けした。
…まさか、自分を無理矢理引きずってきた啓介から、そういうことを言われるとは、拓海は全く考えもしなかったのだ。
大体、たかがこれくらいのことを言うのにそんな厳しい表情をされては、自分でなければ絶対引くのではないか、とさえ思う。
高橋啓介は万人の認めるハンサムさんだが、つり目の三白眼で睨まれ、凄まれた挙げ句のこの言葉------?
悪いけれど、拓海にはいかんとも理解しがたい。
セリフと顔とのギャップがおかしくて、しかも状況的には非常に間が抜けているように思えて、拓海は思わず口元が緩みそうになる。
が、寸での所で、何とか踏みとどまった。
ここで笑っては、啓介の機嫌を損ねることになるだろう。
それは、拓海の本意ではなかった。
「…映画、ですか…。そういうことなら…他に用がなけりゃ、別にいいですけど………?」
「………え、…いいのか?」
「はあ…いいっすよ」
のんびり答える拓海に、そっか、と呟く啓介の表情は、明らかにホッとしたものに変わっていた。
啓介の整った面がふわりと和らぐのを見た瞬間、ドキンと弾んだ胸の高鳴りを無視し、拓海はさっさと啓介へと背を向ける。
「------じゃあ、用がそれだけなら、オレもう戻ります。…走り込み、まだ終わってないし」
「…あ、悪ぃな…、オレも戻る。………映画の件は、後でまた…電話すっから」
後半は早口に呟いて、拓海に追い付こうと早足になる啓介に、振り返らないまま再びはあ、と生返事を返す。
そして、あっという間に背後に迫ってくる啓介の気配を感じ、またも高鳴ってしまった心臓の鼓動に、拓海は唇を噛みしめた。
------なんで、こうなんだろ…オレって。
啓介に声を掛けられるのは、何故かくすぐったい感じがする。…嫌ではないし、どちらかというと心地よい感覚で、もし啓介に誘われれば、断るという選択肢は今の所無い。だが、それを正直に伝える気はなくて、気持ちとは裏腹に、つい冷たい言い方をしてしまう自分。
それに対して、強引に腕を掴んで拓海を引っ張ってきた割には、物事を進めるのには強引でないどころか、消極的に過ぎる啓介。
こういう時に限って押しが弱い彼もどうかと思う。
同様に、こういう時ばかり意地を張って素直になれない自分もまた、どうかしてると思う。
彼も自分も、そういう所がらしいと言えば、らしい。…のかもしれないけれど。
結局いつもいつも、この繰り返し。
言動と感情が、どこか不一致なのだ。
------まあ、…それも、お互い様みたいだけど、さ。
また一つ、小さく諦めの溜息をついた拓海だが、その割には、柔らかな笑みが微かに滲んでいた。
………この際、微笑みが苦笑に近かったのは、やむを得ないだろう。
駆け引きにもならない不器用な会話を、二人はあれから何度か繰り返している。
不器用なりにも、その中で、ささやかな幸せを噛みしめていたりするのだが------
お互いが同じように感じていると知るのは、もっともっと、先の話になる。
終
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