<啓介version>
拓海は、彼のその重みとぬくもりをこそばゆく感じつつも、そのことに気を取られないようにと、次に発せられるであろう彼の言葉をあれこれ考えていた。
彼はきっと、自分が返答に困るようなことを言うに違いないのだから、それ相応の心の準備をしておかないと対処できないだろう、とそう思って。
だが──あにはからんや、暫く黙って待ってみても、彼は単にくっついているだけで、一向に何にも言ってこない。
恨みがましい視線は相変わらずなのだが、口を開く様子がちっともないのである。
なので、仕方なく、『何なんですか』という問い掛けの意味を多分に含め、彼をチラッと窺い見た。
すると、啓介はようよう重い口を開いた。
「…淡泊だよな、お前って。………もっとこう…他に何かねーのかよ」
──大体、何が『重い』っつーんだ。…これっぽっちもそんなこと思っちゃいねえクセに。
と、口を尖らせて、不満たらしく告げてくる。
拓海は目をスイと逸らし、それはその通りなんですけどね、と心の中で頷いた。
まったくそれくらいで拗ねるなよ、と胸中でぼやく拓海だが、かといって、彼の腕に抗おうという気はない。
そのぬくもりが、ほんのちょっとばかり、手放すには惜しいからだ。
──だって…背中、すげーあったかいし…さ。………別に、ただそれだけ、なんだけど。
本当に、それだけの理由だ。他に理由などない。
一方、啓介はというと、そう言ったきり、絡めた腕を放そうともせず、元々上がった目尻を更にきつく上げてこちらをじっと見ていた。
睨む、とまではいかない。けれど、振り向かなくても感じる彼の強い視線──それをまともに頬に受け、拓海はその真っ直ぐな茶色の瞳に惑わされないよう、軽く目を伏せた。
そして、ただベッタリとくっついているだけで、珍しく何も言わず、いつまでも不服そうな瞳を向けてくる彼に、拓海は困った表情でフウ、と一つ嘆息した。
「………何すか…? …言わなきゃわかんないですよ、オレには」
…そう。きちんと声に出して言われなきゃ、何にもわからない。
この自分に何も告げずに、心を察しろ、と要求すること自体が間違っているのだ。
散々他人に言われ続けてきた己の鈍さを、拓海は最近になってようやく自覚しつつある。だからこそ、言わんとしている他人の気持ちを口に出す前に察する、なんて高度な芸当は絶対できない──と、これはもう自信を持って言える。…全然、自慢になりはしないが。
尤も、『相手が誰であっても』100%わからない、というのではない。
実際、啓介の無言の訴えは、多少なりと慣れてしまって、まず以て、啓介の言いたいことが全くわからないということは殆どない。そうでなくても啓介の場合、言わずとも瞳や表情に出ているのだから、言っているのと同じことだ。
だが、それでも。
何となく薄々わかってはいても、である。
啓介がはっきりと物を言わないことが、拓海は気に入らなかった。
時には読み違えることだってあるだろうし、何より──言いたいことがあるのにちゃんと言わないのは、単なるズボラ以外の何物でもないじゃないか、と思うから。
自分だって、この点に関しては他人のことは言えないけれど、でも──
「…言いたくないんだったら、それでもいいですけど…。とにかく、そろそろ放して下さい。飯でも作りますから」
拓海はそう言って、今度こそ啓介の腕の中から抜け出るために、少々強引に立ち上がろうとした。
…その時、ほんの少しだけ、その腕を解くことに対して『もったいない気もする…』などと相当に腐れたことを思いはしたが、深くは考えまい、と軽く頭を振って意識を切り替える。
そうして、自分の体を支えるべく、ずっとベッドに付いていた手のひらに体重を掛け、本格的に身を起こそうとしながら両足を踏ん張った。
その、刹那。
啓介が、拓海の首や肩辺りに巻き付けていた腕をするりと外し、今度はベッドの上にある拓海の両手を戒めるかのように、そっと自分の手を重ね、押さえ込んできたのだった。
「………ちょっと…啓介さん」
咎めるように呼んでも、やはり何も言ってはこない。
顎は拓海の肩にのせたまま、頬を首筋に押しつけ、凭れ掛かってきている。
啓介の沈黙により、元来自分から話すことの少ない拓海もまた、言うことが思いつかずに押し黙ってしまう。
結果として、拓海はより一層、背中に押しつけられた素肌の温かさを意識する羽目に陥っていた。
拓海よりやや高い啓介の体温が、手と背中にぬくもりを伝えてくる。
………本当は。
密着する体も、重ねられた手も、触れる箇所全てが、拓海にとっては"心地よい"以外に表現の仕様がないものなのだ。
だが、思っていることを素直に言葉にするような、かわいい性格ではない。第一、そういう感情を相手に伝えようという発想自体が、拓海の中には存在しない。
今だって、自分の体の奥に燻る、時折見え隠れする小さな情欲を、啓介に気付かれないうちに片っ端から消し去るつもりなのである。
そのためにも啓介に早く離れてもらわないと、と拓海が思った矢先だった。
「…藤原」
唐突に、熱を抑えた掠れ声が耳に届き、ゾクッと拓海の肌が粟立った。もちろん──紛れもなく快楽からくる震えだ。
危うい情感がムクリと鎌首を擡げ、肥大してくる。
ヤバイな、と拓海が眉間に皺を寄せた時、啓介は再び耳元で囁いた。
「………ずりぃよ、お前…」
拗ねたように言う啓介を、敢えて拓海は振り返らなかった。
彼の手は、未だに解かれない。
「…何が」
ずるいと言われる筋合いはない、と低い声で返す。
「お前、今、わかっててオレのこと躱してんだろ。………なあ、おい、こっち向けって」
後半もどかしげに言うなり、片方の手で啓介に顎を掴まれ、強引に彼の方へと向けられて、間近で互いの視線が絡んだ。
「…いつまではぐらかしてるつもりだよ。まさか、駆け引きの真似事でもしようって魂胆かよ」
「………それこそまさかですよ。…そうじゃなくて。朝早く起きたのだって、啓介さんがそう言ったからでしょうが」
啓介は夕べ、『明日は絶対早起きするから』と言い張って聞かなかった。
理由も聞かされないままだったが、それでも拓海は、久々にゆっくりと二人の時間が過ごせるのならと思い、不承不承その要求に従って起きたのだ。
なのに、朝が来たらこれである。
しかも、拓海の心中をわかっているのかいないのか、啓介は背後から拓海を抱き込むような態勢で、挑発紛いの振る舞いしかしてこない。
そんな彼に対し、意趣返しの意味も含め、その手の誘いに簡単にノる気はない拓海なのであった。
「あ…そう言やそうだっけ。まあ、予定は未定ってことで」
サラリと言ってのけ、全く悪びれずに笑う啓介に、拓海はやっぱりこうきたか、と溜息をついた。
「…わがまま」
「………るせーな。もういいだろ………藤原だってソノ気になってんだし…?」
文句の言い足りない拓海が更に言葉を続けようとするのを、啓介は噛みつくようなキスで塞いだ。
そのまま舌を押し込み、戦く拓海のそれに擦り付けては絡めて、弄ぶ。
次第に深くなる口づけを、角度を変えて十分に愉しんでから、互いにタイミングを見計らってゆっくりと唇を離す。
拓海は、目の前で自分を誘惑する、啓介の赤く濡れた唇を、舌でペロリと舐めた。
「ホント………すげーわがまま。…啓介さんこそ、ずるいよ………わかってて煽ってたんでしょ、オレのこと」
少し恨めしそうに睨んでみるが、啓介はそれに答えず、羽織っていただけの拓海のシャツをずり落とす。
そうして、ふと目が合った瞬間、嬉しそうに目を細めて微笑む啓介に、拓海はドキリとした。
──もう、全っ然、割に合わねえじゃん………!
わがまま男のわがままに、思う存分振り回されて。
ちょっとムカつく、とか思っていたのに。
触れ合うぬくもりや、微笑みに、たやすく絆されるなんて。
割に合わないにも程がある。
あまつさえ、そのわがままさえも、悪くないなと思うなんて。
これまたムカつく話ではないか?
「………啓介さん」
「ん?」
「…オレを挑発したこと、後悔しないで下さいね?」
脅しとばかりにそう言って、啓介に凄んだ微笑みを見せ、今度は拓海の方から唇を寄せた。
終
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