足りないもの 

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「…お前、少しは何か喋れよ」
 
 ふと、話が途切れた時だった。
 呆れともつかない溜息とともに、啓介が言う。
 それに対し、拓海は沈黙と曖昧な視線で以て、答えに代えた。
 ただただぼんやりとしているように見えて、しかし実はわざとトボけているであろう拓海に、啓介は眦を上げ、キツイ視線をくれてやった。
 
 *  *  *

 高橋啓介、藤原拓海、両名の間では、こんな会話が日常茶飯事である。
 『こんな会話』──つまり、啓介の主張や意見に対し、拓海がはっきり答えることなく一方的に聞き役に徹する、という会話を指す。
 但し、あまりに一方的なそれを『会話』と呼んでもいいものかどうかは、不明である。

 
 啓介に睨まれた拓海は、そんなこと言われても………、と憮然とした顔で口を尖らせた。
 『何か喋れ』と言われたからって、わかりました、と頷くことはできない。…特に話したいことが、今はないからだ。
 だが、イヤです、と突っぱねることも、やはりできない。イヤだと思っているわけではないからである。
 元々口が立つ方ではない。それに、己の考えを他人に伝える必要性も、普段からさほど感じない。自分から話したいと思うことだって、啓介と出会ってからは珍しくなくなったが、過去を何年遡って思い返しても実際には極稀にしかないほどだ。
 そんな拓海の性分を、啓介はもう知っているはずだ。なのに今更、唐突に『喋れ』だなんて、何を考えているんだろうか?
 一体何を話せと、言うのだろう?
 第一、余程のことでもない限り、拓海は自ら積極的に行動に移したりしないし、何より、他人に指図や命令されるのは死ぬほど嫌いだ。この点に関しての自分の偏固さは、よく理解しているつもりである。
 従って、少なくとも今の所、啓介の言に疑問を感じこそすれ、同意する余地などこれっぽっちもありはしない。………啓介には悪いが。
 だから、不満そうに未だこちらを睨んでいる啓介に、拓海が敢えて言えるとしたら、こんなことくらいだった。
「…いきなりですね。何で、んなこと言うんです?」
「………だってよ。お前、オレが話してんの、聞いてるばっかじゃねえか。それでお前、いいワケ?」
「いいっすよ…?」
 すんなり返ってくる答えは、拓海の紛れもない本音である──ということは嫌でも伝わってきて、啓介はげんなりとした顔を見せた。
「テメーはよくても、オレはヤなの! …だからっ、何でもいいから、何か喋れよ」
 堂々と手を腰に当て、さあどうする!?とばかりに大上段に構えられ、拓海は少し困った。
 時々啓介は、拓海を意識的に振り回して遊ぶ節がある。今いきなりこんなことを言い出すのもそれなのかもしれない、と内心拓海は考えていたのだが、どうやら啓介は本気で言っているようだ。
 ………イマイチ、拓海に何を喋らせたいのかはわからないが。
 無言の圧迫に、何となく何か言わなくてはという気になり、拓海は口を開いた。
「………えっと、」
「…おう」
「…」
 ──やはり、何も思いつかない。
 少し頑張るくらいでは、脳味噌の回転数はちっとも上がっちゃくれないようだ。
 さして焦るでもなく、何を言えばいいのかな、とさんざん迷った挙げ句、拓海がチロリと上目遣いに啓介を窺うと、彼はわざとらしく、それはそれは盛大な溜息をついた。
「………………もーいい」
「え」
 意外にあっさり引かれて、拓海は思わず目を見張る。
 一瞬機嫌を損ねたかと危惧したが、どうも本気で怒っているのではないようだった。
 啓介はふてくされたようにブツブツと一人文句を言いながら、そっぽを向いている。
 そして、拓海の戸惑った顔を見るなり、ギンッと睨んできたかと思うと──
「ぅわ…っ!」
 啓介はやおら右腕をぬうっと上げ、勢い良く、ヘッドロック紛いに拓海の頭を首ごと巻き込んだ。
「ちょ…、啓介さん…っ!?」
 痛ぇだろ、と身を捩りながら言い掛けた拓海は、啓介の台詞に、ピタリと抵抗を止めた。
 ──え、何? 何て言った?
 締め上げる腕の力が僅かに緩んだ隙に、拓海が間近の啓介を見上げると、やはりムッツリとした表情とぶつかる。
 が、ここまで顔と顔が近ければ、拓海も見誤りはしない。
 …啓介の目尻がほんのり紅く染まっていること。つまりは、今の不機嫌な顔は照れ隠しというヤツだ。
 拓海の視線に気付いたのか、啓介は捉えた時と同様に前触れもなくパッと拓海を解放し、軽く身を翻した。
「──なんてな。ジョーダンだよ。…おッ、どうした? お前、顔赤いぜ?」
 明るくにんまりと顔を覗き込まれるが、対する啓介も似たようなものだと、拓海は思う。
 彼もまた、頬の紅潮がまだ消えていないのだから。
「…啓介さんこそ。冗談なんてごまかして…結構照れ屋ですよね。…まあ、前から知ってましたけど?」
 カッと顔を赤く染めて一瞬黙る彼に、拓海はほくそ笑む。
 自分も顔が少々赤くなっているようだが、この際棚上げだ。
「そういうとこ、可愛い性格してますよね、啓介さんて」
「ハァ!? 男が可愛いって…お前どうかしてんじゃねえの?」
「…外見とかじゃなくて、オレが言ってんのは性格の………」
「あーもう、うっさいな。いいから黙れッ!」
 拓海としては、せっかく珍しく正確に伝えようとしていたのだが、啓介は聞くに耐えないようである。
 照れ隠しのためか、拓海の方を見もせずにくるりと背を向け、ズンズンと先に歩いて行ってしまった。
「………何でもいいから喋れって言ったの、啓介さんなのに………」
 恨みがましくポツリと呟いた台詞も、彼の耳に届くように言ったのに、聞こえないフリで流された。
 
 けれど。
 まあいいか、と拓海は微笑んだ。………いや、微笑みというより、ニヤケに近い。
 根が正直で感情表現がストレートな割に、言葉ではストレートな表現を好まない啓介が、先程耳元で言ってくれた言葉。
 …滅多にないことで、しかも不意打ちだけに、無性に嬉しくて。
 但し、あの調子では、自分が何を言っても黙れと怒鳴られそうな気がして、拓海は苦笑する。
 
 
 『たまには、テメーの寝惚けた声でも聞きてー時があんの』
 
 
 ──自分の言動の影響力ってのを、全く把握してねえだろうな………あの人。
 困ったモンだ、と思いつつ。
 シアワセに緩む頬を必死で引き締めながら、拓海は啓介の後を追うのだった。



終     

   

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