囚われ 

2001.2.21.up

 ──何で、アイツはオレを見ない?
 時々、無性に思う。
 同時に、何でオレはアイツを見てるんだろう、とも思う。
 自分でもよくわからない。
 そんな時は、胸がチリチリと焦げた感じがする。
 それは、痛みに似ている。
 
 たとえば、クルマがすれ違う瞬間。
 オレの駆る愛機FDと、藤原拓海のハチロク。
 視界に飛び込んでくるそれを、オレの意識が、全神経が追う。
 自然と、追ってしまう。
 …だけど、アイツは。
 オレのことなんか眼中にもない。
 文字通り、目に入ってないか、もしくは入っていても認識していない。
 『高橋啓介』だと、認知していない。
 ──だって、オレはアイツの何をも感じない。
 アイツの気配を。意識を。…視線を。
 アイツのだったら、わかる。オレを追っているなら、わかる。
 オレに向かってきてるなら、絶対に。
 一発でわかる自信がある、のに。
 …なのに、何もない。
 
 今日も、似たようなことがあって。
 アイツの無関心を見せつけられて。
 また、胸の辺りが、焦げるような痛みを訴えてきた。
 ──少しは、オレの方を見ろよ。
 不自然なほど、オレを視界に入れない藤原拓海。
 意識的に、避けているのだろうか。だとしたら、何故。
 わからないもどかしさは、不快感を呼ぶ。
 堪え性はない方だから、耐えられそうにない。
 直接、この苛立ちをアイツにぶつけるかもしれない。
 そうしたって、どうしようもないのに。
 言っても多分、アイツはピンとこない。
 きっと、何も変わりはしない。
 
 
「なあ、お前、オレんこと避けてんだろ。何で?」
 結局、訊いた。
 …だって、理由が知りたい。
 だけど、コイツは一瞬驚いてから顔を逸らし、別に…と呟き、それ以後は何も言わなかった。
 やや大きめの瞳はこっちを向かず、目前にいるのに、オレの姿を映しはしなかった。
 ──口きくのも、見るのもイヤだってか?
 そう思うと、ズキンと胸に痛みが走った。
「お前、そんなにオレが嫌いかよ。…いーけどよ、別に」
 言い捨てた。
 すると、ますます痛みはひどくなった。
 ホントは、ちっともよくなんかない。
 …自分で自分を傷つけてりゃ、世話はない。
「どうでもいいけど、ちょっとロコツ過ぎんぜ。史浩辺り、気ぃ遣ってるみてーだし、少しは態度…──」
「啓介さんこそ、オレのこと嫌いでしょう」
 オレの言葉を遮ったヤツは同じ姿勢のままでオレを見もせずに、僅かに眉間に皺を寄せ、厳しい表情をしていた。
 何をバカな、と思う。
 お門違いな糾弾に、苛立った。
「はァ? 誰もんなこた言ってねえだろ」
「いっつもオレを睨んでるじゃないですか」
 睨んでねえっての!
 …と言っても、水掛け論になりそうで。だから、言葉を選んでみた。
「悪いかよ、見てたら。嫌いな奴なんか誰が見るかよ。気になるから、つい目がいくんだよ。気になるもんはなるんだ。意識してやってんじゃねえんだから…しょうがねえだろ」
「気になる気になるって、繰り返して言わないで下さい。変ですよ、それって」
「うるせーな。どうせ変だよ、オレは。………お前のこと意識し過ぎて、実はお前に惚れてんのかもって自分で今思ってるくらいだからな」
 今度こそ、目ン玉が転がり落ちそうなくらい、ヤツは目を大きく見開いて、こっちを見た。
 …我ながら、かなり自棄っぱちな気分だ。
 一世一代の告白が、こんな喧嘩腰の言い合いの中に紛れてしまってるなんて。
 ──けど、これでますます、コイツに避けられるかもしんねえな。
 苦々しく思う。
 もしそうなったら、今まで以上に痛みが増すのだろうか。…心臓の辺りが、またジリジリと灼かれるように痛むんだろうか。
 それでも、嫌ってるとか睨んでるとか、コイツに思われてるのは、すごくイヤな気分だったのだ。
 誤解されることがこんなにヤなもんだとは、知らなかった。
 イヤだと思ったら、今まで考えもつかなかった言葉が、すぐさま口をついて出てきた。
 『惚れてるかも』
 そう………たった今だ。
 たった今、自覚した。しかも、言った後で。
 ──自分に全く無関心なコイツを見ると、無性にイライラするのは。
 せっつくような焦燥感は、そういうわけだったのか。
 コイツがこっちを向かないから。全然関心なさそうだから。
 バカバカしいほどに、単純な理由。
 だけど、笑うに笑えない。自覚したって、脈なんかこれっぽっちもありはしないのだ。
「──いいや、もう」
 唐突に、虚しくなった。
 コイツのように鈍感で物わかりの悪いわからずやと話すには、結構気合いが要る。今は、それが足りない。
 だからこのまま早々に話を切り上げ、踵を返す。
 すると、意外なことに、ヤツが待ったを掛けてきた。
「逃げるんですか」
「…んだと?」
 聞き捨てならない、その台詞。
 低く呟き、斜睨みに振り返ると、そこには挑むような瞳で見据えるアイツがいた。
「啓介さんが、オレに聞いてきたんでしょ。なのに何で、何も聞かずに行くんですか」
「…テメーが何も言おうとしねーからだろ」
「………オレ、啓介さんを避けてなんかいません」
 神妙な顔つきできっぱり宣うコイツの台詞に、気が抜けた。
 …マヌケだ、あまりにも。
 マヌケ過ぎる台詞だ。
 オレが今更そんなことを聞きたいと、コイツは思ってるんだろうか。
 そりゃあ確かに、最初はそう訊いた。けど、その話はもう終わってんだぜ?
 んなこと言うより、今さっきオレが言ったことへのコメントでも付けてみろっての。
 バカだ、コイツ。
「………………あっそ」
 こんなバカを、オレは意識しているのだ。
 あんなに心を軋ませるほど。
 その灼ける痛みを紛らわすために、煙草の量を増やしてまで。
 それを改めて考えると、視界が暗転しそうだ。
 だけど、まあいい。他の面での実力は折り紙付きなんだから、ご愛敬ってことで目を瞑ってやる。
 実力──即ち、クルマを自在に操る技術だ。
 ──負けねえ。オレはアイツを追い続けて、近い将来、絶対に追い越してやる。
 ドライビングに関しちゃ、テクもセンスも度胸も抜群。負けず嫌いもオレとタメを張る。
 このオレが認めた男だ。
 ………バカだけどな。
 
 避けてない、と明言したにも関わらず、あまりにぞんざいでそっけないオレの返事に腹を立てたのか、きついヤツの視線がオレに食い込んでくる。
 顔に穴があきそうだと、思った。
 それをイヤだとは思わないけど。でも、コイツのこの瞳──
 自分に向けられたことはないが、見たことはある。
 どこでだっただろう。
 オレが考える間にも、ヤツは訥々と喋っていた。
「…それと。オレ、ホントに嫌われてると思ってたから…。コレ以上鬱陶しいと思われんのがイヤで、あんま啓介さんと関わりたくなかっただけで。でも………違うんなら、オレは退く気ないですよ」
 ──思い出した。これは、バトルの時の瞳だ。
 相手を狩る時の、…絶対勝ちに行く時の。
 狙いを定めて逃がさない、どうあっても自分は逃げない。そういう決意のこもった目つきだ。
 今はそれが、真っ直ぐオレに向かってきている。瞳に宿る強い光。
「よくわかんねえんだけど。つまり、どういう事だ?」
「相手に興味あるのは、何もアンタだけじゃないってこと」
「…ッ!」
 息を呑む。
 …それは、オレの都合の良いように解釈していいのか?
「………言っとくけど、煽ったのは啓介さんですからね」
 結構自分はしつこい方だし、とヤツは己のことをそう分析する。
 にしても。
 …『煽った』だと? オレがか?
 勝手な言い草だ。オレの方こそ、コイツに振り回されて、煽られてるクチだ。
 ということは、お互い様ってわけなのか。
 何だか、ちょっとばかし笑える。
 おかしくて、口元が綻んだ。
 だけど、これだけははっきり言っておく。
「お前が諦めねえヤツだってのは、よく知ってるぜ。…でも、間違えんな」
 そう言ってから。
 オレは両腕で、ヤツの体を掴まえた。
 逃がさないよう、腕にしっかり力を込めて。
「掴まえんのは、お前じゃなくて、オレだ」
 耳元で、囁いた。
 
 宣言通り。──だよな。
 これからも、きっと。



終     

   

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