──何で、アイツはオレを見ない?
時々、無性に思う。
同時に、何でオレはアイツを見てるんだろう、とも思う。
自分でもよくわからない。
そんな時は、胸がチリチリと焦げた感じがする。
それは、痛みに似ている。
たとえば、クルマがすれ違う瞬間。
オレの駆る愛機FDと、藤原拓海のハチロク。
視界に飛び込んでくるそれを、オレの意識が、全神経が追う。
自然と、追ってしまう。
…だけど、アイツは。
オレのことなんか眼中にもない。
文字通り、目に入ってないか、もしくは入っていても認識していない。
『高橋啓介』だと、認知していない。
──だって、オレはアイツの何をも感じない。
アイツの気配を。意識を。…視線を。
アイツのだったら、わかる。オレを追っているなら、わかる。
オレに向かってきてるなら、絶対に。
一発でわかる自信がある、のに。
…なのに、何もない。
今日も、似たようなことがあって。
アイツの無関心を見せつけられて。
また、胸の辺りが、焦げるような痛みを訴えてきた。
──少しは、オレの方を見ろよ。
不自然なほど、オレを視界に入れない藤原拓海。
意識的に、避けているのだろうか。だとしたら、何故。
わからないもどかしさは、不快感を呼ぶ。
堪え性はない方だから、耐えられそうにない。
直接、この苛立ちをアイツにぶつけるかもしれない。
そうしたって、どうしようもないのに。
言っても多分、アイツはピンとこない。
きっと、何も変わりはしない。
「なあ、お前、オレんこと避けてんだろ。何で?」
結局、訊いた。
…だって、理由が知りたい。
だけど、コイツは一瞬驚いてから顔を逸らし、別に…と呟き、それ以後は何も言わなかった。
やや大きめの瞳はこっちを向かず、目前にいるのに、オレの姿を映しはしなかった。
──口きくのも、見るのもイヤだってか?
そう思うと、ズキンと胸に痛みが走った。
「お前、そんなにオレが嫌いかよ。…いーけどよ、別に」
言い捨てた。
すると、ますます痛みはひどくなった。
ホントは、ちっともよくなんかない。
…自分で自分を傷つけてりゃ、世話はない。
「どうでもいいけど、ちょっとロコツ過ぎんぜ。史浩辺り、気ぃ遣ってるみてーだし、少しは態度…──」
「啓介さんこそ、オレのこと嫌いでしょう」
オレの言葉を遮ったヤツは同じ姿勢のままでオレを見もせずに、僅かに眉間に皺を寄せ、厳しい表情をしていた。
何をバカな、と思う。
お門違いな糾弾に、苛立った。
「はァ? 誰もんなこた言ってねえだろ」
「いっつもオレを睨んでるじゃないですか」
睨んでねえっての!
…と言っても、水掛け論になりそうで。だから、言葉を選んでみた。
「悪いかよ、見てたら。嫌いな奴なんか誰が見るかよ。気になるから、つい目がいくんだよ。気になるもんはなるんだ。意識してやってんじゃねえんだから…しょうがねえだろ」
「気になる気になるって、繰り返して言わないで下さい。変ですよ、それって」
「うるせーな。どうせ変だよ、オレは。………お前のこと意識し過ぎて、実はお前に惚れてんのかもって自分で今思ってるくらいだからな」
今度こそ、目ン玉が転がり落ちそうなくらい、ヤツは目を大きく見開いて、こっちを見た。
…我ながら、かなり自棄っぱちな気分だ。
一世一代の告白が、こんな喧嘩腰の言い合いの中に紛れてしまってるなんて。
──けど、これでますます、コイツに避けられるかもしんねえな。
苦々しく思う。
もしそうなったら、今まで以上に痛みが増すのだろうか。…心臓の辺りが、またジリジリと灼かれるように痛むんだろうか。
それでも、嫌ってるとか睨んでるとか、コイツに思われてるのは、すごくイヤな気分だったのだ。
誤解されることがこんなにヤなもんだとは、知らなかった。
イヤだと思ったら、今まで考えもつかなかった言葉が、すぐさま口をついて出てきた。
『惚れてるかも』
そう………たった今だ。
たった今、自覚した。しかも、言った後で。
──自分に全く無関心なコイツを見ると、無性にイライラするのは。
せっつくような焦燥感は、そういうわけだったのか。
コイツがこっちを向かないから。全然関心なさそうだから。
バカバカしいほどに、単純な理由。
だけど、笑うに笑えない。自覚したって、脈なんかこれっぽっちもありはしないのだ。
「──いいや、もう」
唐突に、虚しくなった。
コイツのように鈍感で物わかりの悪いわからずやと話すには、結構気合いが要る。今は、それが足りない。
だからこのまま早々に話を切り上げ、踵を返す。
すると、意外なことに、ヤツが待ったを掛けてきた。
「逃げるんですか」
「…んだと?」
聞き捨てならない、その台詞。
低く呟き、斜睨みに振り返ると、そこには挑むような瞳で見据えるアイツがいた。
「啓介さんが、オレに聞いてきたんでしょ。なのに何で、何も聞かずに行くんですか」
「…テメーが何も言おうとしねーからだろ」
「………オレ、啓介さんを避けてなんかいません」
神妙な顔つきできっぱり宣うコイツの台詞に、気が抜けた。
…マヌケだ、あまりにも。
マヌケ過ぎる台詞だ。
オレが今更そんなことを聞きたいと、コイツは思ってるんだろうか。
そりゃあ確かに、最初はそう訊いた。けど、その話はもう終わってんだぜ?
んなこと言うより、今さっきオレが言ったことへのコメントでも付けてみろっての。
バカだ、コイツ。
「………………あっそ」
こんなバカを、オレは意識しているのだ。
あんなに心を軋ませるほど。
その灼ける痛みを紛らわすために、煙草の量を増やしてまで。
それを改めて考えると、視界が暗転しそうだ。
だけど、まあいい。他の面での実力は折り紙付きなんだから、ご愛敬ってことで目を瞑ってやる。
実力──即ち、クルマを自在に操る技術だ。
──負けねえ。オレはアイツを追い続けて、近い将来、絶対に追い越してやる。
ドライビングに関しちゃ、テクもセンスも度胸も抜群。負けず嫌いもオレとタメを張る。
このオレが認めた男だ。
………バカだけどな。
避けてない、と明言したにも関わらず、あまりにぞんざいでそっけないオレの返事に腹を立てたのか、きついヤツの視線がオレに食い込んでくる。
顔に穴があきそうだと、思った。
それをイヤだとは思わないけど。でも、コイツのこの瞳──
自分に向けられたことはないが、見たことはある。
どこでだっただろう。
オレが考える間にも、ヤツは訥々と喋っていた。
「…それと。オレ、ホントに嫌われてると思ってたから…。コレ以上鬱陶しいと思われんのがイヤで、あんま啓介さんと関わりたくなかっただけで。でも………違うんなら、オレは退く気ないですよ」
──思い出した。これは、バトルの時の瞳だ。
相手を狩る時の、…絶対勝ちに行く時の。
狙いを定めて逃がさない、どうあっても自分は逃げない。そういう決意のこもった目つきだ。
今はそれが、真っ直ぐオレに向かってきている。瞳に宿る強い光。
「よくわかんねえんだけど。つまり、どういう事だ?」
「相手に興味あるのは、何もアンタだけじゃないってこと」
「…ッ!」
息を呑む。
…それは、オレの都合の良いように解釈していいのか?
「………言っとくけど、煽ったのは啓介さんですからね」
結構自分はしつこい方だし、とヤツは己のことをそう分析する。
にしても。
…『煽った』だと? オレがか?
勝手な言い草だ。オレの方こそ、コイツに振り回されて、煽られてるクチだ。
ということは、お互い様ってわけなのか。
何だか、ちょっとばかし笑える。
おかしくて、口元が綻んだ。
だけど、これだけははっきり言っておく。
「お前が諦めねえヤツだってのは、よく知ってるぜ。…でも、間違えんな」
そう言ってから。
オレは両腕で、ヤツの体を掴まえた。
逃がさないよう、腕にしっかり力を込めて。
「掴まえんのは、お前じゃなくて、オレだ」
耳元で、囁いた。
宣言通り。──だよな。
これからも、きっと。
終
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