欲-epilog4- 

2002.5.11.up

act.5-1(main side Keisuke)

 行き場のない思いに、握り締められた啓介の拳に、更なる力がこもる。
 力みすぎて、腕が、肩が、小刻みに震えた。
 ──無駄、なのかもしれない。
 何を言っても、何をしても。
 そんな思いに囚われる。
 啓介の言葉など全く聞こえていないかに見える、拓海の無反応。
 能面のように感情の見えない顔。
 
      …ただ。
      今日は勝手が少し違ったから。
      だから、期待した。
      バカなことに。
 
      "今ならば、ヤツのスタンスを崩せる"
      "あわよくば、ヤツの本性を暴ける"
      そう思って、ここに足を運んだ。
      強引に、彼を引き連れてきた。
 
      だが。
      失態だ。
      崩されたのは、彼ではない。
      むしろ、それは──
 
 まるで息する人形のように佇む拓海の、本物の感情。
 それを、今なら見られそうだと思ったのに。
 
      拓海は、己の思いを他者に伝える気がない。
      啓介を相手にすれば、尚更に。
      悪罵の限りを尽くし、悪態をついたところで。
      ──躱されたり、流されたりするのがせいぜい。

 だから、いつだって。
 拓海と言葉を交わす時は、どんな時も。
 ………虚しさが、隣り合わせだったのだ。

 今はこんなにも、状況が変わっているのに。
 ここは、山の風が吹き荒ぶ峠でなくて、空気のこごった小さな密室。
 ベッドだけが空間を占領する部屋で、啓介と拓海の二人きり。
 今までにない、しかも早々あろうはずもないシチュエーション。
 …だが、途轍もなく滑稽なことに、これまでと同じなのだ。
 意思の疎通もなく、正面からぶつかることもまともにできない、自分たち。
 ──否。そう思っているのは、…自分だけ。
 バカなことをしたもんだ、と啓介は内心で自嘲する。
 こんな場所に来たって、ただ、自分がバカを見ただけの話だ。
 よくもこんなことばかりし続けられるもんだ、と、ほとほと自分に呆れる。
 
 それでも。
 無駄なことを、と思う端から、啓介は、無駄かもしれない次の言葉を探した。
 無駄なのに、自分は目の前にいる男の本音を引き出そうと躍起になっている。
 ──どうしてここまで必死なんだよ、オレは?
 自分でも、わかっていない。考える余裕も今はない。
 ただ、無為な悪あがきをやめられない自分が、情けない姿として脳裏に映る。
 けれど、今でなければならなかった。
 そうと、感じる。
 苛立ち一杯で不愉快極まりなかったこの男とのやり取りさえも、明日からはできない。
 ………今日でなければ、もう──
 結末の予想に、啓介は次第に焦りを覚え、眉間に深い皺を刻んだ。
 
 
 
 すると、何の予兆もなく。
 音が沈黙を破り、静かに啓介の耳に届いた。
「………………オレが、」
 物音ではなく、人の声。
 唐突に聞こえてきた拓海の平坦な声に、啓介は、一瞬ハッとして体を硬直させた。
「…そんなことを言うと、本気で思ってたんですか………?」
 何を言われているのか、突然すぎて啓介には理解できない。
 呆然と拓海を見つめ、そのまま黙っていると、暫くしてから拓海は再び繰り返した。
 誰に言うでもない、まるで独り言を呟くように響く、抑揚のない声。
 それでも、啓介に向けられる拓海のその目が、逸らされることはやはりない。
 食い入る眼差しだけが、独り言ではなく、啓介に対して言っているのだと証明していた。
「………啓介さんのことを嫌だって…。オレが言うの、あんたはずっと待ってたんですか? ………言うワケないのに」
 啓介さんてホント甘いですね、と最後に呟いた拓海の独白は小さく、且つ棘があった。
 皮肉った昏い笑みすら口の端に刻まれているようだった。
 そして翳る焦げ茶の瞳は冷たいガラスみたいに、色を失っても尚、啓介を映している。
 啓介は、息を飲んだ。
 この部屋では、啓介の名前を呼ぶ以外、自ら口を開こうとしなかった拓海が、ようやく言葉を綴ったのだ。
 ──ほんの少しでも遮れば、また口を閉ざすかもしれない。
 そう思い、啓介は呼吸さえも押し殺して、拓海の次の言葉を待った。
 
 だが、それきり。
 拓海はまたもや口を噤む。
 多少間を置いて待ってはみたが、拓海を見る限り、それ以上語る気は全くなさそうだった。
 啓介は、かなり躊躇ってから、訊いた。
 やっと聞けた彼の言葉の裏には一体どんな思いが潜んでいるのかが、わからなかった。
「………それ…、どういう意味で…──」
 言ってるんだ、と、そう続けたその直後。
 拓海がゆるりと手を伸ばし、啓介の肩口に触れた。
 羽のような触れ方に、啓介は身をピクリと震わせた。
 だが、拓海の手を拒絶する気は、起きない。
 そんなことよりも、何か言う気があるのなら、それを聞きたい。
 感じる微かな温かさに、少々気を取られながら、啓介は待った。

 
 
 
 
act.5-2(main side Takumi)

 黙って自分の答えを待つ啓介を、拓海は見つめた。
 少なくとも、この場所では──啓介がベッドで目を覚ましてから今までの時間、ただの一瞬も、拓海は啓介から視線を外したりしなかった。
 啓介の、辛そうに眉間に皺を寄せ、苦しそうに自分を詰る姿も。
 嫌いだと宣告され、自分に対する卑下の言葉を投げつけられても。
 拓海は啓介を見つめていた。
 目を逸らしてはいけない、と思っていた。
 事実は事実として受け入れなければ、とも考えていた。
 自分の感じる辛苦は、啓介の比ではないのだから、と。
 だが、それだけではない。

      今見ている啓介は、自分だけが知る、高橋啓介だ。
      拓海以外の誰も知り得ない、啓介の姿だ。

 そうも、思ったからだ。
 …どうせ、啓介の意思を無視し、彼の誇りを目一杯傷つけた代償を、自分が支払わなければならないのはもうすぐ。数秒後か、数分後か。
 それまでの間しか、こんなふうに接することはできない。
 制御できない自分ほど、厄介なものはない。
 これ以後は、自分は啓介に関わってはいけない。
 そう決めていた。
 だが、反面、笑いたくなった。
 そんな場に直面していても、まだ己の心は、こんなにも啓介に惹かれている。
 …浅ましくも、なんと愚かな、未練がましい自分。
 
      啓介は──
      拓海を嫌いなクセに、無視することはない。
      嫌いだと言いながら、関わりを絶とうとしない。
      鬱陶しいと態度で示しながら、声を掛ける。
      究極の所で、嫌いな人間を突き放せない。
      最後の最後で、冷酷になりきれない。
      甘くて、優しくて。
      …残酷だ。
 
 今だって、啓介に触れている拓海の手を叩き落とすくらいして、当たり前なのに。
 啓介は、それをしようとしない。
 そうやって啓介が甘いから、自分は浅ましくなる。彼が拓海に対して完全に見切りをつけないから、未練がましくなる。
 …そういう啓介の自覚のない甘さが、今の自分には苦々しく感じられた。
 そこに、自分はつけこんだのだ。
 それを、見せつけられる。今この瞬間も、正に見せつけられている。
 『こんなトコが甘いっていうんですよ』と、心の中で言って。
 無言で、拓海は啓介に触れていた己の手を、離した。
 

 ──もう、限界か。
 思いながら、拓海は相変わらずの口調で、今まで訊く気もなかった問いを、啓介に投げ掛けた。
「…苛々してまで、わざわざオレに構う必要なんかない。嫌いなら、最初からオレに近寄らなかったら良かったんだ。………何でそうしなかったんですか」
 言った刹那、啓介の顔色が変わる。
 強張った表情が向けられ、啓介の真っ直ぐな瞳が、拓海を射抜いた。
 だが啓介は、何も言わない。
 答える気がないのか、あるいは、拓海が全て言い終わるのを待っているのか。
 拓海には、わからない。
 わからないから、続けた。
「………今も…何で、何も言わないんですか。どうして責めないんですか。それとも、わざと目を瞑ってんですか。…オレは、」
 と、そこで躊躇する。
 この先は、言いたくない。
 だが──
 話の流れから、言わざるを得ない。

「オレは、啓介さんを、犯したんですよ」

 言ってみれば、端的で陳腐な台詞だった。
 ──悔いる気もないし、謝る気もないんです。
 言うつもりのなかった言葉も、口にした。
 単なる事実を、突きつけた。


 自分自身に。
 そして、啓介に。



.....続く     

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