冷たいあなた-2- 

2000.10.16.up

 * * *

 しばらく賑やかだったこの部屋も、ときが経つにつれて次第に静けさを増していく。
 口数の多かった啓介も、既に眠気と格闘中で、意識が朦朧としているようだった。
「…啓介さん? ちょっと…寝るんだったら向こうで…せめて上着羽織った方が………」
 ずっしりと肩に凭れかかる体重の重さに、拓海は眉間に皺を寄せた。
 …啓介には自らの体を支える気がないのか、半端じゃなく重い。身長差以上に、自分とは体格の差があることを、改めて実感する。
「…もう…酔っ払いはこれだから………」
 拓海は嘆息しつつ、他のメンバーも既に雑魚寝でてんでばらばらに寝入っている手前、小さく小さくぼやいた。
「オレぁ酔ってねえって。ねみーだけ…」
「…ウソばっか」
「ホントだって」
 微かに笑って顔を寄せてくる啓介の意図を悟って、拓海はその顎をがしっとホールドした。
 途端、啓介が不景気そうに顔を顰める。
「………ダ、ダメですって。みんな…いるじゃないですか」
「みんなって、寝てんじゃねーか」
「だって…いつ目ぇ覚めるか………」
「んなコト言ってるうちに、できんだろ。…キスくらい」
 強引に手を退かし、啓介は拓海の口の端をぺろりと舐めた。
 そして、ギョッとした拓海に一瞬だけ目を合わせ、視線をずらした。
「………………別に、ヤならいいけどさ」
「…別に…イヤじゃ………」
 ないです、と言うのさえ何だか焦れったくなった拓海は、直接、啓介の柔らかそうな唇をそっと塞いだ。
 緩んだ歯列を割って舌を忍ばせ、互いの舌先が軽く触れ合い、ゆるりと絡んだところで、一旦口唇を離す。
「………何、焦らしてんの?」
「…じゃなくて、やっぱ酒くせーかなって………」
「お互い様だろが。ニンニクくせーより断然マシ」
「………そりゃまあ………」
 唇の触れる距離でぼそぼそ囁いてから、色気ねえ会話、と同時にクスリと笑い合う。
 そしてもう一度、今度はゆっくりとキスを交わした。



 『冷たいよな、藤原は 』
 啓介に何度か言われた台詞だ。さっきもまた言われた。
 『オレがしようとしたら、絶対に避けるだろ、いっちゃん最初』
 いつも拓海が理由を言いかけるとじろりと睨まれ、もういいとそっぽを向かれて、結局言えずじまいで。だからその度に、拓海は心の中だけで反論している。
 ──冷たいのは、啓介さんの方でしょう?
 こういう関係になったのは、啓介の言葉からだった。まだそうなってから日は浅い。
 けれど、その割に、啓介の態度はあっさりしたものだ。今までと何ら変わりなく、プロジェクトに関すること等でメンバーが集まる時は、いつものトゲトゲしい言動を見せる。
 それはそれで誰にも気付かれないと少し安心したが、反面、啓介のあれは冗談だったのかと疑うほどだ。
 だから、こうやって思い出したように求められると戸惑うばかりだし、他の誰かがいる所ではつい避けてしまう。…たとえ拒みたくなくても、万一バレたら後々面倒事が増えるかと思うと、どうしても用心せざるを得ないから。…たとえばそれがきっかけで、付き合いをやめると言われたりしたらと思うと、………怖くて。
 『飲み会だってのに、お前全然近くに来ねえし、素気なさすぎるしよ』
 ブツブツと、先程、眠る直前に啓介はそんなことを言っていた。
 ──わかんねーんだもん…しょうがねえだろ。
 啓介との距離が、拓海には掴めなかった。
 普段が普段だけに、こういう無礼講の場でどこまで啓介に近寄っていいのか。大体、プロジェクト関連以外で、二人でどこかに出掛けたことも、まだ一度もないのだ。
 飲み会ということで、拓海が啓介に敢えて酒を勧めたのは、少しでも静かになってくれればバレるのバレないのと余計な心配することもなくなるだろう、という意図があった。加えて、寝顔が見れたらいいな、という少々邪な思惑があったことも否めない。
 結果は予想外だったが、自分にだけうだうだと絡んできたことは、内心かなり嬉しかったりもした。中身のない会話でも、声が聞けて、側にいられて。
 さっきから拓海の肩に頭をもたせかけてウトウトしていた啓介は、態勢的に不安定だったのか、ずるずると上体を滑らせていき、結局膝を枕にして眠ってしまった。今や微動だにしない。
「ホントに犬みたいだ………」
 膝に感じる啓介の頭の重みが心地よくて、拓海の口元は知らず緩んだ。
 そうっと、その髪に手を差し伸べてみる。整髪料で固めたはずのそれはすっかり崩れ、柔らかかった。
 拓海は、啓介を起こさないようにサラリとした髪をゆっくり指で梳いた。
 感触が優しくて、誰も聞いていないのをいいことに、思わず小さく囁きかけた。
「…あん時さ…オレすげー嬉しかったの、知らねえだろ………啓介さん」
 あの時………啓介に、思いを告げられた時。
 絶対にあるはずがないことだと、拓海は思っていた。普通ではないことだとわかってもいたし、何より、あからさまな敵意むき出しの啓介より、もっともっと自分は啓介を見ていたと思うから。…誰にもわからないように、ずっと前から。
「啓介さんより、オレの方が、ずーっと前からだよ…絶対」
 だから、まるで己の思いを知っていたかのように、真っ直ぐ切り込んできた啓介に、白昼夢を見ているんだと拓海は錯覚した。多分、まともな反応を返せなかったんじゃないかと思う。自分で何を言ったかも、定かではないのだ。
 今だって、あまりにも現実感がなくて、後で思い出しても夢のような感覚だ。
 あの時からこっち、啓介の普段の態度には丸っきり変化がなくて、余計に拓海は信じられない。…今でも。
 信じたいのに、啓介は、信じさせてくれない。…いつも、そんな冷たく感じられる接し方。
 だけど、今。
 膝に感じる重みと温もりは、確かに自分の手の中にある。
 先程重ねた唇も、熱くて柔らかで…ちっとも冷たくなんかなかった。背中に回された腕も、頬に添えられた掌も、密着した体も、温かかった。
 感覚までもトレースして鮮明に思い出し、拓海は、少しどぎまぎとアヤシイ気持ちになってしまった。
 ………ちょっと、このままではヨロシクないかもしれない。心地よさをもたらしてくれる膝枕が、ソレをますます煽りたててくれそうだ。…若さが、こういう時は恨めしい。
 やれやれ、と拓海は苦く嘆息して、心の中で枕を提供できないことに詫びを入れ、自分の膝に載っていた啓介の頭を静かに床に下ろした。
 そこここで大小のいびきが響く部屋をきょろきょろと見渡し、誰も起きていないことを確認してから、ほの赤い啓介の眦にそっと口づけた。
「…おやすみなさい」
 抜き足差し足で、思いっきり足を忍ばせて、失礼ながら人の体を跨ぎつつ。
 何とか誰も起こさずに、拓海は部屋を出ていくことに成功した。
 散歩でもしようか、とぽてぽてと廊下を歩く。
 ぼんやりとした表情で、けれど脳裏には、かの人の寝顔が浮かんでいた。



 * * *

 起きている人の気配がなくなった部屋で、啓介はそろりと瞼を開いた。
 柔らかい感触が残る眦を、指で辿る。
「…何が『ずっと前』だ。年季では負けねえよ、バカタレ………」
 酒のせいだけではなく赤くなった顔を見る者は、いなかった。



終     

   

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