思考フル回転中の拓海の沈黙を、啓介は反論有りと取ったようである。
拓海の思考を察したわけではないが、状況的には、正解に近かった。
「んー、まあ仮に、たまたま興味があって見てたとしてもだ。『つもり』になってるだけだね。焦点合ってないようなボケたお前の目じゃ、なーんにもまともに見えねえよ、きっと」
「んなことないですよ。…啓介さんが知らないだけです」
「絶対違うね」
啓介にサラリと流される。その顔には、まるでバカにしたような嘲笑が張り付いているようだった。
本気で思って述べた言葉、だったのに。
少々カチンときた拓海は、自分の中で何かが変化するのを感じた。
言葉にしても伝わらないもどかしさと、軽く見られた腹立たしさが、きっかけとなって。
スイッチが、静かに切り替わる。
「…ッんなの、アンタがわかってないだけだろ? 勝手に決めつけんなよ。…オレだって、何にも考えてないわけじゃない。知りたいことだってあるんだ」
茫洋とした印象が、瞬き一つの時間で変わる。
一際低いドスの利いた声にふさわしい、鋭さを帯びた目つきを、啓介は正面から見据えた。
「そりゃそーだろな。けど、足りねえんだよ」
「──バカって意味かよ」
そうじゃなくて、と啓介は一瞬だけ苦笑して、苛立ちに瞳を輝かせている拓海へ、一歩二歩とゆったり近づいた。
互いの距離が縮まると、身長の低い拓海は先程よりやや顎を上げて啓介を見上げる姿勢となる。
さらに顔を覗き込み、息遣いすら聞こえるほどの距離になっても尚、微動だにせずそのまま睨み続ける拓海に、啓介は内心ほくそ笑み、ようやく口を開いた。
「………お前、本気出してねえだろ。それなりにやりたいことも、知りたいこともあるんだろうけどな、気持ちが足りねえんだよ。全然。何となくじゃなくて、何が何でもっていう勢いとか…そういうもんがないだろ。…だからお前にゃわかんねえ。………そういう意味だ」
言い切って、啓介は、短くなってしまったくわえていただけの煙草を地面に落とした。次いで、ザリリ、と砂と地面のこすれる音が聞こえた。靴で吸殻の残り火を消したのだ。
拓海は、一連の啓介の動作の、音だけを耳で追っていた。
突っ立ったまま、啓介の言葉を噛みしめる。
…一言も返せない自分が、悔しかった。
心の中に、憤りが残る。
言い返せない理由は、啓介の言ったことに反論できるだけのものを、拓海は持ち合わせてはいないからだ。
何かが足りないとは薄々感じていた。だから違うとは言えない。かといって、足りないと指摘されたところで、じゃあ補充しますだなんて、できるものでもない。
第一、足りないのが気持ちだとは、思わない。
「…あ、何だ、足りないのはわかってんのか? んじゃ取りあえず、マジになってみれば。なりふり構わないくらい」
──何勝手なこと言ってんだ、この人。
苛立ちと呆れで一杯の拓海のそんな気持ちが伝わったのか、余計な世話かもしんねえけど、と啓介は続けた。
「………大体さー、タダでさえお前ボケてんだから。わかんないまま何もできなくて、結局手に入るものも入らないで終わっちまうぜ? ま、クルマに関しちゃ自覚してるみてーだけど、走り以外のことでもさ」
…ああでも、お前には必死こくとか、そういうのできねえか?
思い出したような口振りでわざとらしく最後につけ加えて、啓介は、ニヤリと口の端をつり上げた。…その目元は、少しも緩んではいなかった。
その笑いは拓海の癪に触ったが、そう言う啓介の方こそが、今まさに何かを手に入れようとしているかのように見えた。まるで、獲物を前に舌なめずりする獣の、獰猛な微笑み。
「アンタ………わざとオレを挑発してんのかよ? 余計な世話とか自分で言っといて。…オレが本気になってないってアンタは言うけど、オレはそう思ってないよ…。でも、アンタに自信満々に違うって言われるのは、すげーむかつく」
「…だから?」
「………そんな余裕ぶっこいてていいワケ? オレに本気出せって言ったの、アンタだろ」
「別に? だからってオレは困らねえよ。マジになんなきゃおもしろくねえじゃん。クルマも、それ以外も…な」
その答えに、拓海は思う。
──どこまでわかってるのだろうか、この人は。
話を聞いていると、どうも、啓介はちっとも理解していないように思われた。
拓海の関心が、クルマ以外では一体どこにあるのか。
おそらく何も知らないまま、好戦的な言葉と態度で、挑発しているのだ。
拓海が本気になればなるほど、きっと啓介は困るだろうに。
何故なら、啓介に対して持つ感情は、自分でも不条理としか言い様のないものだから。
──無自覚の啓介さんの挑発に、オレ思いっきりノせられたみたいだけど。
だが、理屈ではなかった。
──欲しい。
何が、と問われても、形があるモノじゃないから、答えられない。
けれど、欲しいと思う。
啓介の、過度の執着を見せる視線や、その意識の矛先──そこに、自分があればいい。
そうなったらいい、と思った。
それから、啓介自身のことも、知りたい。
今、初めてまともに話したことで、余計に興味が湧いてしまった。我ながら、単純だ。
………何だか、多少、腹立ち紛れの会話であったけれど。
「アンタがそう思ってんなら………いいですけどね、オレは」
まずは、啓介を困らせることからだろう、と拓海は内心判断する。
何をどう困らせるのかは、今は置いておいて。
要は、多少はわかってもらわねばならない、ということだ。
拓海の関心の対象が人間で、しかも誰なのかを察すれば、きっと困るに違いない。
…だが、啓介がどう思おうと、それは啓介の勝手だ。
──欲しいものは、欲する。
最終的には、手に入れる。
拓海にとっては、それだけのことだ。
拓海が、その思いを瞳にのせて、端から見れば不自然なほど間近にいる啓介を見上げると、今までとは打って変わった意外なほど穏やかな顔をしていた。
「…そうそう、やっぱ、こうじゃなくちゃな」
満足そうに目を細める啓介の、その言葉の意味はわからない。
ただ、焦げ茶色の瞳が深い色を湛えていた。
──わかってるのかわかってないのか、この人って掴めねえ………
ふと、先程の啓介の台詞が、拓海の脳裏を掠めた。
『マジになんなきゃおもしろくねえじゃん』
──もしかして、オレの気持ち知ったら、おもしろがるのかも? まあ、それならそれで………
「…いいけどね、別に」
「何? その気になった?」
「…はあ………まあ………………そんなとこです」
「あっそ」
んじゃな、とクシャリと拓海の髪をかき混ぜるなり、踵を返してあっさり身を翻し、向こうへ行ってしまう。
──は?
あまりに呆気なさ過ぎる、引き際だった。
引き止める暇もあったものではない。…いや、引き止めるつもりはさらさらないが。
つい先程までの問答は、一体何だったのか。
──一体、何だったんだ、あの人は?
拓海は、そう思わずにはいられなかった。
しつこいほど絡んできたクセに、ああも簡単に去ってしまうとは。
また、いきなり啓介に髪を触られたことも初めてで、驚いた。
…だが、それよりも何よりも。
──髪だけじゃなくて、ほっぺたにも触らなかったか?
指が離れる際、耳朶と頬の辺りを軽く撫でられた………ような気がする。一瞬のことだったが、頬にその温もりが残っている。
そっと羽が触れるような、微かな感触だった。
リアルに思い出して、ドギマギする。
…啓介は、意図して触ったわけではないだろう。偶然、当たっただけのことだ。
「………なんか、いちいち煽ってくれるよなー………」
わかってない割には。
拓海はブツブツぼやいてから、まさか、と一つの考えに至る。
まさか、知ってるとか、言わないよな?
わかってて、オレのことからかって遊んでたり…?
だとしたら、「マジになってみれば」だの「その気」だのって言い方は………
………まさか、だよな。
涼介さんじゃあるまいし。
啓介さんだもんな。
こんな回りくどいやり方は、好きじゃなさそうだし。
…だから。
オレが見てるのが、誰なのか、とか。
まさか、それを知ってるなんてことは………
「…あるわけないよなー」
誰にともなく、口に出して言ってみた。
そろそろ考えるのも億劫になってきて、再び思考を閉ざしてぼんやりとする。
焦点の定まらないように見える拓海の目線の先には──啓介が、いた。
まさか、という状況は、意外に現実にあるものだということを、拓海はまだ知らない。
終
|